【おたログ024】湯に浸る

◆今日の行動

今日は夜になってはじめて外に。

 この時間、大抵もう家に戻っており、カメラに夜が映るのは祇園祭ぶり。

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 8月、19時過ぎの賀茂川は黒く赤い。

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 西陣は灯る。

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 まだ列車は発つ。

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 おれは風呂に入る。

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 幸せです。


◆今日の絵

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 人体がかなりだめですが、背景でぎりぎりまとまった。


 風呂は凄い。いつも夕方にありえない眠気に襲われるが、16時半くらいに風呂に入るとよくわからないパワーで夜をハイパフォーマンスで過ごせる。家の風呂でさえ素晴らしい効能があるのに、でかくなればなるほどぐいぐいと効能は上がる。風呂の面積と比例する。

 地下鉄を掘るのにありえない建設費を出したアオリが今でも運賃に出ているともっぱらの噂である京都で温泉を掘るのは自殺行為なのでスーパー銭湯はほとんどないが、道が狭くて建て替えて風呂を足すのもままならない街には銭湯がある。すごくある。入湯料、共通430円。タオルや石鹸でプラスアルファ。ドライヤーは数分数十円、コーヒー牛乳や炭酸飲料が什器で冷やされ、玉が露出したマッサージ機もある。全部足しても700円くらいかな?

 銭湯を侮るなかれ。場所によっては露天風呂やジェット風呂、薬効風呂もある。それが自転車を少し漕げばより好み出来るのだ。我々は京都に住んでいる。夏は暑く冬は4月まで寒くどこも微妙に傾斜があって道路は出会い頭で毎回ヒヤヒヤし観光客で数字以上の人間が闊歩しバスで駅に出るまで1時間かかるようなどうしようもない街だけれど、ここには我々だけが知っている道や小さな神社やシックな喫茶店や人間に慣れた猫や忘れられた歴史の残り滓や新しく生まれたものたちが死ぬほどある。それを拾っていくのは4年間では到底足りない。京都は3代100年でやっと地元と名乗って良いなどというほとんどイメージを損なっているとしか思えないような言説もあるが、成程100年あればなんとか及第点程度には掬い上げることが出来ると思えばむべなるかな。自転車を漕ぐ。気になるものを見つけ心に留め、坂を登り、下り、汗を流し、甘味を食べ、風呂に入り、そういう一日を100年分積み重ねて、我々はようやく京都に実感を持って住めるのであろう。