香川のうどん

 きょうは香川にうどんを食べに行った。高松より西、丸亀よりも西、香川でもだいぶ西の方の観音寺という街のうどん。うどんが出るまでの(ごく短い)間、そういや最近家で素麺と冷麦しか茹でてないなあ、うどんも茹でたいなあ、とか考えていたのだが、いざ出されたうどんを食べるとその考えは一瞬でふっとんだ。うどんはお店で食べるに尽きる。

 四国には車でしか来たことがないけれど、昔しまなみ海道の途中の島で泊まった時、レンタサイクルでちょっとだけ橋を渡ったりしたらすごく楽しかった。あと、四国カルストにも行ってみたかったりもする。いい自転車に乗って、そういうところを気持ちのいい季節に漕いだりできたらすごい楽しいんだろうなあ、とか考えた(四国カルストは高低差がとんでもないけど……)。ここ2年はひたすらパソコンに向かっていたし、趣味……までいかなくとも別の楽しいこともあったら嬉しいし、もうすこし体調もよくなるかもしれない。もうちょっと生活が安定して、世の中も落ち着いてきたらそういうことを考えたい。なんだか打っててしんみりしてきます。早くなんとかなってほしいですし、できるだけ悪化の片棒を担いだりしないようにしたい(し、犯人探しもしたくない)。


 例によって人付き合いがものすごく苦手なので、インターネットでの人間関係でなんとか人生を繋ぎ止めている部分が大きい。その一方で、優劣をつけているようで申し訳なさも感じつつ、やっぱりインターネットで形成できる関係のほとんどは限度があるというか、やっぱり実際に会って話したりしないとわからない部分というものがどうしても出てくるような気もする。結局毎回この結論に落ち着いてしまうけれど、とにかく物凄く難しい。

 自分を発信する目的でネットを使い始めたのは大学に合格してからで、その時は「同じ大学」だったり「同じ年代」というようなところで接点ができて関わっていくことが多かった。ただ、大学や年齢が同じだったところで、実際のところは学部や講義が同じなことは少なく、もっぱら「同じ」という属性でだけ関わりが続いていった。もちろん何度かいわゆる「オフ」で顔を合わせることもあったけれど、一対一で話し合うようなことは少なく、そのうちちょっと価値観が違うとか、すこし嫌なところが見えた、というような理由でお互いフォローを外したり、ブロックしてしまったりというようなことになって、結局大学を出る頃には学内で仲のいい人はほとんど研究室かサークルの人々だったように思う。

 言うまでもなく自分の狭量さとか、場に合わせて話を繕う事の下手さにも起因しているのだけれど、そのくらい関係構築が下手な人間が辛うじて知り合いを作っていけたのは、ひとえに毎週研究室やサークルに行っていたことに尽きる。別に、研究とか愛好という形で多少興味のあるものを共有しているとはいえ、自分の好きなものを全く知らないことも、特に聞いてくれないことも多い。自分も相手の好きなものに鈍感だったり、さして興味もなかったりすることもある。その上、何度か仲違いしてしまったこともある。それでもまたサークルに行けばその人と顔を合わせるし、お互い(派閥ができるくらい大きな集団ならともかく)無視しあっているのもなんだか変なので、ぎこちなく、互いに謝ったりするわけでもなく、人の話に乗っかるような形でまた話をしていって、いつのまにかなし崩しでそれなりの付き合いになっていったりした。

 個人的な感覚に過ぎないけれど、定期的に直接顔を合わせる(合わせざるを得ない)ような集団で作られていく関係と比べると、やっぱりどうしても文面を通じてのコミュニケーションは人に対する評価を比較的0か100かで下してしまいがち(相対値で、かつグラデーションなので、20:80とかかもしれない)になるような気がする。もちろんなし崩しで関係ができていくというのも、本当に精神が削られるほどの実害があるのに中々離れられない、というような場合においてはあまりプラスには働かない。だからこの話は優劣の話ではなくて、あくまでこういう特性があって、比較的対話は文面よりも(この区分もあんまりよくないかも)コミュニケーションの深度があって、少なくとも自分はネットの外側での対話的な交流を必要としている、というだけの話。ブツン、と切れてしまう関係というのは、後腐れがないとも言える一方で、すこし歩いて振り返ってももう取り戻せなかったりもする……

 とはいうものの、最近は比較的個人の力で配信であったり、通話だったりがやりやすくなってきた。対話のツールとしては物凄く有用なのではないかと思う。もちろん、それでもお互い一方的に離れ合うことはやっぱりやりやすいし、これも身も蓋もない話だけれど、直接顔を合わせるような場所であっても、そこから離れてしまえば、結局対面であろうと関係は終わらせやすい。甘えた話だけれど、自分はどうしても人をいやな気持ちにしてしまいがちな人間で、そのくせ離れていくことにダメージを受けてしまったりする。しおらしくしている暇があるなら身の振りを見つめるべきだ、というのは本当にそうなのだけれど、よかったら誰かに自分の振る舞いを直す手伝いをして欲しかったりもする。要するに、よくないことをしたときに、それはよくないんじゃあないか、と言ってくれる関係。変な言い回しだけど、自分も好きで独りよがりをやっているつもりはないので、できればそうやって沢山の人といろんな話をしていけたら、一つの幸せだと思う。

 明日もなんとか生きていきたいです。