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ボロネーゼもどき

 長らく使いみちが思いつかず買ったままだったシーチキンをやっと消費しようという運びになり、茄子と一緒に色々和えてボロネーゼもどきを作った。そもそもの源流のボロネーゼを全然知らないので、もしかしたらもうボロネーゼと呼べる部分が全く無いかも知れない。それはたとえもどきのレベルであってもボロネーゼって呼んでいいんだろうか。なんだかテセウスの船とか砂山のパラドックスみたいな話になってきた……

 明日も美味しいもの食べて生きていきたいです。

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水出しコーヒー近況

 まあまあ高いもの買っといて飽きることがまあまああるので水出しコーヒーもその類になってしまうんでないかと気が気でなかったが(そこは自分の努力次第ではないのか)、今の所まだ続いている。ただ朝にパックを出さないといけないから、抽出時間を逆算して23時位に作らなければならず、ぼーっとしていてうっかりタイミングを逃したことはまあまあある。そういうときは普通にコンビニでカフェオレ(最近やっとコスタが出てきて嬉しいけどすぐ無くなりそうで怖い!)とかアイスコーヒーとか買う。どっちも美味しいし、自分で作る水出しコーヒーも原価レベルでまあまあな値段するのでそんなに節約ではない。楽しいから余裕があるときにやる。というか、節約ってこういうことへらへら言える余裕がある人の方が気楽でトータル長続きするような気がするので、なんというかみんな余裕がある状態であってほしい。工夫ではどうにもならんこともある……


 絵とか漫画とか描いていて出会った人のなかには、例えば映像とかゲームとかデザインとか短歌とか比較的近接している分野でもいろいろとやっている人が結構多かった。そうでなくても仕事でちゃんとキャリアを積んでいたりとか、別のところでも精力的に活動していたりとかする。特別な何者になろうと云々とかそういう話というよりは、単純に自分より作業量が多くてアクティブな人がたくさんいるなあ、と思う。

 絵を描き始めたのは中学生くらいからで、でも漫画は大学に入ってから、色々本腰入れ始めたのは2年前からなんで実質……と言い訳したところで、(そもそも自分の実力を若さとか伸びの速さで補強しようとするのって、なんかせこい気もするし)絵以外に何かやってたんですか、と言われたら別に胸を張って言えるようなことなんて何もしていないし、そういう「実績」とにらめっこしなくても満足できるほど楽しい人生でもない。しかもその「本腰の2年間」とやらの間、けっこうパソコンにつきっきりだったけど、その間に作った枚数や冊数もたかが知れているし、なんならそれこそ他のものもバリバリ作ったりしている人よりも全然少なかったりする。自分は不器用だから漫画しかできないって言ってたのにねぇ。

 いろんな言い訳を考えたりした。例えば、スピードをむやみやたらに上げても粗製濫造になってしまうので、自分は丁寧にものを作っていきたい、とか(すごく浅ましい言葉だ)。そんなこと言わなくても、自分の描くものが一番自分にとって大切なんで、別に量も質もどうでもいいです、とどうして言えなかったんだろうか。強がって手に入れられなかったものも多い。人よりも知識はないし探究心もないし、特に人間ができてるわけでもない、本当にこの世でなんかトーナメントでもしたら1回戦敗退みたいな人間なわけだけど、そういう人間の生きていく理由って、もちろん色々気にかけてくれる人のことは本当に大事なんですけど、それでも精々自分の中にしか見つけられないな、と思う。自分より若い人のことを見ながら、やっぱり無視できない年齢のこととか、自分の限界とかについて考えることが増えた。

 明日もなんとかして生きていけたらいいと思います。

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色々載ってる冷や麦

 今日はお昼遅めだったし重めだったし、晩にどっか食べに行こうかとも思ったけどそこまでがんばって何か食べたい感じでもなく冷や麦を茹でることにした。……のだが、いつのまにか茄子とかカリカリの豚肉とかキムチとか乗っかって結局まあまあ量とカロリーに溢れる夕食。まあでもめんつゆに浸せば全部サッパリ食べれて美味しかった。手軽だし平日でも作れるかもしれない……


 せっかくの連休だったがほとんど外出をしていない。一日だけ京都に行ってとくに意味もなくふらふら河川敷を歩いたりした(ら、大学の頃よく遊びに付き合ってくれた地域猫に1年ぶりに再会したりした)けど、他の日は特に行くあてもないし、わざわざ外に出て収穫がないよりは絵とか漫画を……と思ってだらだら家でパソコンに向かい合っていた。

 思えば人生のうちで行動力があったのは就活が終わってから就職するまでのたった1年で、その間は卒論もまあまあ手際よく進んでいた事もあって今から思えば信じられないくらい毎日のように自転車を漕いでいた。別に何か行きたい所があったわけでもないのに、遠くに目標地点を作って行きあたりばったりに走ってみたり、走っていて気持ちいいコースを何種類か作って買い出しや気分転換で喫茶に行くついでに周回したりしていた。あのころも別段何か自分の身にいいことはなかったし人間関係にも恵まれていなかったけど、比較的毎日穏やかに過ごせていた気がする。

 あれから2年が経って、自分で決めて家から出なかったのに休みがうまく消化できなかった気がしてウンウン唸ったりしてしまう。情けない話だけど就職するまで働いたことがなくて、未だに仕事がよくわからない。そういう不安とか、純粋に平日の時間が丸々ないこととか、ずっと疲れていることとか、2歳年を取ったことの焦燥感とか、大学時代の数少ない人たちとも距離的に会いづらくなったこととか、住んでいる街があまり自分にはまっていないこととか、色んなことが重なっているんだと思う。色んなことが重なっているので、メモリの少ない自分にとってはどの原因から片付けていいのかわからない。完全にどつぼである。

 よく早く引越したいとか、こういう仕事がしたいとか思うが、0.5秒くらいでそれで全部が解決するわけではないし、むしろコストを払ったのに何一つ改善しないかもしれない……と考える。それは環境にかこつけている自分を戒めているのか、逆に足を踏み出せないことの言い訳なのか、それもよくわからない……わからないし、漫然とした不安とか寂しさとかが大きくて、変なタイミングで色々考え込んでしまうこともよくある。ただ、昔ほど何もわからずにただ意味不明なつらさがあった頃よりはその解像度は上がってきて、ちゃんと言葉で考えられるようにはなってきたかなと思うし、いつか自力で解決できるくらい自分のことがわかるようになればいいなとか、調子のいいときはへらへら考えている。

 明日もなんとかして生きていきたいです。

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グラタン

 バジルソースを買ったので、トマトソースも使ってグラタンを作った。イタリアンカラー。ほぼ炭水化物とチーズなのに、すごく健康的に見える。あと、毎回すごく作りすぎてしまう……


 昔「イデオン」のあらすじを読んでた時、「地球にとっては降参の白旗が相手にとっては宣戦布告の印だった」というくだりで、そんなことあるかい、と思わず笑ってしまったことがあった。今から思うとそんなことはある。だいたい白旗が降参というのも、後天的にそう認識しているだけだし……


 例えば人が100人いたとして、99人が笑っているのに残り一人がそっぽを向いてしまって場が白けた時、果たしてその一人の空気の読めなさ、あるいは卑屈さ、感性のずれ方のせいにしていいとあまり思わない。少なくとも、その人の面白さの感性に訴求しなかったということだけが残っている……音楽やらなんやら、国境はたしかにときに超えうることもあるだろうし、それを無理、無理と嘲笑う気はさらさらないけれど、多分性別であったり、社会的なロールであったり、置かれている心理的な境遇であったりという部分で何かしらの壁には阻まれてしまうと思うし、阻まれているということを見つめていく方ができるだけしんどい人を減らすためには有効なのではないかと思う。

 自分はわりと人と違うものが好きだったし、時には他の大勢の人が好きだったものもあまり好きではなかった、というかちゃんと言えば嫌いだったこともそれなりにあった。良かったよね、と言われた時、幼くて場を取り繕うのが凄く下手だった頃は、いや、嫌いだけど……と言ってしまって、それをきっかけにいじめられたりした(今も治ってはいないが……)。今から思っても、好きな物を嫌いだったと言ってくる人とは別に仲良くはしなくてもいいんじゃないかとは思う(そこを補ってあまりある位他の部分でわかり合えるというのは凄く素敵なことだとも思う)が、離れていくときに何かをぶつける必要もないし、ぶつけ続ける必要はなおのことない。自分の好きな物だって、(当然他の人が好きな物以上に)嫌う人がいるし、自分の描く漫画だって誰かにとってはけしからぬ、まったく社会のためにならない人間にしか映らない。

 それでも自分は特に方向転換もせずにずっと嫌いな人が嫌い続けるだろう漫画を描いてきたしこれからも描いていくだろうが、少なくとも自分の漫画は誰かにとっては快いものになるし、別の誰かにとっては嫌なものになってしまうという自覚の下で行っていきたい。たんに嫌いな人の意見なんか無視しちゃえ、という気持ちだけでは描きたくない。自分は誰かに対して嫌な思いを持つし、嫌なことをされたことも沢山あるが、多かれ少なかれ自分は誰かに嫌に思われるし、嫌なこともし続けてしまう。それでも自分はできるだけ快く生きていたいから、他の人の快さのことも考える必要がある。

 あらゆる行為を行うにあたって、自分が何をやっているのか、誰にどのような影響を与えるか、悪い影響をできるだけ減らし、かつ自分の気持ちとも折り合いをつけるには、場所、時間、やり方、説明をどのようにすればよいか、ということは余裕がある限り考え続けたい。逆に言えば、いかなる理念の下でいかなる考慮がなされたとしても、多かれ少なかれ誰かを嫌がらせることにはなってしまうのではないか。お互いが何を快いと感じるか、何は譲れないのかというところで歩み寄りが生まれるというのが人と人との関係なんじゃないかと思う。もし国境もジェンダーも階級もその他の何もかもを飛び越えてしまう表現が出てきて、それでもただ一人自分だけが、もうお世辞でもその場を切り抜ける選択肢が出てこないくらい不快に思ってしまった時、どうすればいいんだろうかと思う。ちゃんと自分は不快だったと表明できるだろうか……

 すごく気の遠いことだけど、なんとなく気が気でない。

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新カレー・好きな物

 コリアンダ・クミン・ターメリックを同量、カルダモン少し、チリペッパー少し、塩胡椒で味を整え…という、パウンドケーキみたいな作り方でまあまあ本格的にカレーが作れると知ったのが1年前で、それからまあいそいそと作りだめし続けてきた。……のだが、最近ネットでシーフードのかなり美味しそうなカレーのレシピを見つけて作ってみたところ凄く美味しかった。ココナッツミルクとか入れて凄くまろやか。贅沢なカレーというのもいいですね……

 相変わらず少し前に見たアニメのことばっかり考えている。また色んなものを知ることができそうで、少し楽しい。と同時に、本当に最初の一通りを急いで見てしまったので、ひょっとしてすぐ忘れてしまうのではないのかという怖さもある。もちろん、忘れる忘れないで何か誠実さのようなものが測れるわけではないし、それこそ何か見栄のようなもののためにしがみつき続けることのほうが誠実ではないのかもしれないけれど……

 昔から体力テストは凄く成績が悪かったし、1回目のチャイムで動けない生徒だったし、大学の講義も3回目くらいからやっと意味がわかりはじめたり……というような人間だった。今でも休みに出かけようとして気付いたら3時になってたりするし、期間限定のものを食べに行こうとしたらちょうど期間が終わってたり、もう売り切れだったりする。流行っているものについても、ちょうどそういう感じで人よりワンテンポ遅かったせいで好きになりそこねたものが沢山ある。

 善か悪か、好きか嫌いか、というようなものとは別のところで……というより、それをクリアした先に「身の丈に合っているか、合っていないか」というふるいがあって、そこで沢山のものが引っかかっていく。人よりのろい自分の身の丈に合っているものは、ことに同時性・即時性をある程度求めるような流行のものの中には全然なくて、しかも既に形成されたコミュニティに入っていくのもすごく苦手だったりする。だから自然と所謂「覇権」よりも古い曲や漫画に、流行りの施設よりもずっと経ってるオンボロの建物に愛着が湧いたりした。その事を単なる流行嫌いとか卑屈とか言われてしまうのが、まあまあ嫌だったと思う。新しい物だって、別に最初から最後まで嫌いなわけではないので……

 だから今回みたいに、(まあそれでも一足二足遅かったきらいはあるけれど)すごく盛り上がっているもののことを好きになったのは本当に偶然と言うしかなくて、自分でもまあまあ不思議な気持ちでもある。やっぱり好きな物の事を考えているときは、それが流行っていようと流行ってなかろうとすごく楽しいし、身も蓋もないことを言えばブームの物に触れていると色んな人に出会えてすごく刺激的だったりする。……とは言っても、自分がのろいことには変わりないし、どこまで行っても自分のことがいちばん大事。これからどんどんペースが落ちていって、そのうちまたもとの周回遅れになってしまうんだろうけど、自分の歩調に合わせてくれる人や一周まわってまた自分に声をかけてくれる人に出会えたらいいなと思う。

 明日もなんとか生きていきたいです。