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脱稿・さらっと・次の戦い

 皆さんさらざんまい見ました!???

 勿論見ましたね? って別に僕も前から目つけてたとか幾原先生のファンだったとかではありませんが……たまたま勧められたので観た感じです。というかもともとアニメ観てなかったんですよ! 深夜に起きられないのと録画を毎回忘れるのとネット配信系のサービス入ってないのとでいろいろ見づらい環境なので…で、たまたま就活中にYoutubeでプリティーリズム・レインボーライブが全話無料配信になってたので全部見て、もうこれがすご〜〜い良かった。†可能性†を感じた、ということで今後もいろいろ観ていこっかな〜〜〜ってところにさらがきたわけですね。

 めちゃくちゃ好きな人物造形の子が出てきたりしていて普通のオタクとして鑑賞し、いろいろ叫びながらラスト2話はリアタイで観たりしました。面白かった〜〜〜!!! で話もすごいよかった。なんというか、後日談で成長してるアニメ好きなんですよね! フリクリの最後にナオ太くんが中学生になったシーンとかめちゃくちゃ好きだった。そういうところに「キャラクタ」ではなく「人」なんだな、という感覚を得ています。どちらかというと人の感情とかが好きなので、人としてのリアリティ(説得力?)みたいな描写がきちんとしているとうれしくなっちゃいますね。特にさらはPVやエンディングで実際の写真と合成してアニメーションを作っていたので、より「そこにいます!!!!」感が強くなっていた。おれも身長測りに行きてえ!!!

 オチは詳しくは話さないんですが、福満先生の僕の小規模な失敗を思い出したりしました。あれ、結婚していろいろ考えてるシーンで「おわり」のクレジットが出るんですけど、実際はあと3ページ結局うだうだと漫画を持ち込みダメになる日常が続きます。この「しかし人生は続く」というところが本当に良くて、普通に話を終わらせるんだったらどう考えても結婚してなんだかんだよかったな!!! でスパッとしちゃうところを、あえてその後結局ダルダルになってしまうところまで描く。ただそれは上げて落とすんではなくて、最後のコマで福満先生本人がすこし微笑んでるところの通り「でも、やっていく」感に満ち溢れてるんですよね。すごくないですか。いや凄いです。まあなんというかそういうところがありました。説得力の塊みたいなラストでボロボロ泣きました。僕の人生もまだまだ続きますし、あ、そうそう、やっと部誌の脱稿は終わりましたが大学の発表、資格、そして次の部誌…とまだまだやることがある。人生は続く!!!!!!!!!!

ライフポイント

大変ご無沙汰しております。完全に不精でいけませんわね。

まずは業務連絡です。


関西コミティア56にも申し込んだ

関西COMITIA56

COMITIA129に続きましてこちらも申し込みました! いま漫画かいてます! 本出ます! 関西コミティアで新刊が出るかどうかはよくわかりませんが……12ページくらいのコピー本で決着つけられたらいいかなと思います。


 ブログを続けているといいことの一つとして、ちゃんと過去何やってたか、どういう心境だったかというのを見返すことができるというのがあります。自分のように毎日が嵐のように過ぎ去っていくような人からすれば、自分の心を文章にアウトプットしたものを見ながらあ〜〜ちゃんと生きてたんだな、おれ、という気持ちになって、それがすごい救いになっているような気がします。常に救われたいと思ってますが、あんまり人に迷惑かけられないので自分で救える部分は自分でなんとかしていかないといけないですね。

 と理知的に述べといてあれなんですけど毎年この時期忙殺されるの恒例になりすぎていてなんというかヒドイですね!!! あまりにもばかばかしすぎて笑ってしまう……なぜ毎回こういうことになるかというと、大学のカレンダーは7月末で区切りがつくのでそろそろ試験や発表のことを考えないといけないこと、大学のサークル誌の〆切も毎回この時期であること、この二点につきます。1回生のころはともかくとして4年目になっているのにこのざまなのは本当に何たる計画性のなさよ…と思いますが、就職活動とかいうのもやっていたので僕のもう本当に読むだけで気が滅入るような文字列に関しても許して欲しいな…と思います。いや誰に向かってというか、不特定多数の一般的に想定されうる”人”でしかないんですけれども……

 かつてここで意思確認として掲げていたようなことは達成したり、達成にむけて色々やってみたり、全然動けていないものも多かったりです。絵に関しては一つ着地点を見出したところですが、あとはスピードの向上とまた違った方向で力を蓄えていけたらいいなと思いながら相変わらず試行錯誤を繰り返しています。成長をやめたらだめになる、というよりは、苦悩しながら、というところ含めて一種の学術的な探究心に近いんじゃないんでしょうか。これって自分を持ち上げすぎてますかね? あと人との交流に関しては相変わらず人見知りだし、自分の感覚に自信は持てていないし、あとTwitterがあれだったり色々でまあまだ受け身の状況です。ただバシバシリプライをしてしまったりするというのも、自分はされて迷惑、というよりは困惑してしまう部分も多分にあるので、感覚としてはそんなにおかしくないのかもしれません。やや過剰なきらいもありますが……

 イラストレータ界を突っ走っている漫研の偉大なさしみ先生のお手伝いなどで東京と関西のコミティアにそれぞれ行きまして、自分も好き勝手に本を買ったりしたんですが、やっぱりコミティアの空間はすごく気持ちよくて、自由にやってるな、という雰囲気が強いですね。結局普通に大学に入って普通に社会に出てしまうわけなんですが、色々な意味での体力パラメータの許す限り漫画は描いていこうと思います。といっても人より圧倒的に数値低いのですが……身体持つのか?

 結局のところ、成長してないな〜〜と思いつつ、3年前に初めて描いた漫画なんか見ると笑ってしまうくらい今の絵は比較すると抜群にいいです。これは自賛というか、本当に今の絵が抜群によく見えるくらい3年前の絵はヒドイ(笑)。あくまでも相対値でしかないですが、線も色も漫画としての技術も格段に上がって、描きたい話もどんどんある。そういうところを考えていくと、一番成長してないのは自分の成長をかたくなに認めていない精神とかかもしれないですね。自分のことを一番知らないのは自分、というのは月並みですが、まあ自分と24時間365日付き合ってたら案外漸次的な変化はアハ体験な感じで気づきにくいものだと思います。例えばスランプ中の絵は人に見せようとしないので、スランプってことがわかんなかったりするじゃないですか。ああいう感じですかね? 自分の姿勢はいささか卑屈めいてはいるんですが、それをどうやって克服するか、というのも今後の課題で、一朝一夕にはどうにもならないとは思います。Twitter、ほんとすみませんね……ただ時事的にセンシティブなことはほとんど関わっていないので、そういうところは安らぐ、かな? (自己肯定の練習)

 ともかくとしてホントはこんな長い文章を書いてるひまもなくて早く〆切に間に合わせないといけないんですが、まあたまにはぽけーーーっとこういう場所を使うのもよろしいんでしょう。これからもここを、あと僕のこともよろしくおねがいします。ではッ!

COMITIA129に

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申し込みましたドッシェーイ!!!!

受かるといいなッ!

久々

 更新どころではなくなってしまってすいません!!!! いつの間にやらブログも2ヶ月位放置とのことでいよいよこのサイトもマズイのではという趣が強くなってまいりました。皆様いかがでしょうか!

 無事就職活動が終わったはずですので取り急ぎ創作の時間がまた確保できるようになりました。とはいってもやることは今後増えていくのでどこまで頑張れるか謎です。今のうちに習慣づけておきたいものですが……

 さて近況。


ドロヘドロを全巻買って読んだ

 めちゃくちゃ面白かったです。美大卒の人の漫画は正統派(?)の漫画とは違う勢いがあってやっぱり良いですね。

 ちなみにドロヘドロを買いつつチャンネルはそのまま!とか黒田硫黄の茄子とか冬目景のACONYとかも買ったりしていたので2週間で30冊くらい蔵書が増えました。本棚がないが………


東京コミティアに行く

 折角自由になったので今度こそはコミティアに行くぞ! ということで行きます。めちゃくちゃ楽しみ。


東京コミティアに出る

 で、折角だし夏のコミティアには絶対に出したい。ガンバルゾー


サンライズ出雲のチケットが取れた

 一週間前とかなのに取れて嬉しかったです。わっしょい!


 とまあこういう感じで、要するにいつもどおりなのですが、いつもどおりが一番良いですからね(う〜〜〜ん)。今後も暇を見つけてサイト弄ったりしたいと思いますので、どうぞ何卒宜しくお願いします。

やっぱり人はそれを愛と呼んだりするんじゃないのか

 3月1日から大学新卒者向けの広報活動をしてよい、という経団連の決まりが一応、ある。ちなみに採用選考は6月からであるがそれは「採用!」と言ってよいのが6月以降というだけで普通にそれまでの3ヶ月の間も選考がじりじりと行われている。

 かくして大学三回碓氷さつし、愈山より高く海より深い両親の庇護を抜け一人のまっとうな社会人にならねばならぬ時がやってきた。といっても碓氷には社会がわからぬ。取り急ぎ周りと同じように十数社にエントリー・シートを出し、そして幾社よりの書類落ちの知らせを受け取るなど、その海路は順調に黒ずんでいる。

 というよりは、どうも既に出遅れていたようである。説明会に行くと妙に人事課の男と親しげに話している学生が幾人ほど、どうやら夏よりの就業体験で何度か顔をもう合わせていたのであろう。これには参った。しかも話している内容もやたらきな臭く、明らかに選考をショート・カットするような話を聞いてしまったときは流石に辟易してしまった。そういうの、隠れてやってほしいですわよ。

 いずれにせよ働かねばならぬが、働くまでがこんなにも長く、面倒で、面白くないものだとは知らなかった。就業してからも思いやられるものでありますね。というか、そもそも就業できるのかしらん。僕は家でご飯を食べて漫画を描いて時々本を出して帽子を買うくらいのお金と余裕があればそれでいいんですが、それも高望みなのかしらん。

 説明会にわざわざ来るような人々というのは実に労働意欲に溢れており、出てくる会話の端々に「我々は絶対に勝ち組になるぞ」、というオーラがみなぎっておる。いまいち理解していないが、おそらく勝ち組のパラメータは企業、収入、社会的地位みたいなものがファクターになっているんですわね。そりゃ金があれば自由だし、人に色々と褒めてもらえる地位ってバカに出来ない。ずっと思っているのですが、やっぱり基本的に人間は独りで生き抜くことが不可能な仕組みになっていて、最終的に自己を確立させるためには他者の愛が必要不可欠なんだと考えています。

 ところが漫画だったり物だったりを描いていると、そうして作り上げた作品から他者の愛を摂取することが出来たりするわけで、ここで社会的地位とか責任とかやりがいとかをアテにしなくても心理的には生きていく選択肢があるわけなんですよね。そういうふうに考えていくと、クソでかい仕事をクソでかい責任負いながらやってまでクソでかい金とクソでかい愛をゲットしなくても、そこそこの仕事をそこそこの責任でやってそこそこのお金得ながら漫画でも描いてそこでクソでかい愛をゲットすればいいんじゃないのみたいに思えてしまう。そうなんですけど、後者の思考はみるみる社会性を失っていって無事就職もへったくれもなくなっていっているわけですが……

 いずれにせよ漫画を描きはじめて、大学のサークルやお絵かき、同人の知り合いさんと関わってきた中でまだまだ社会に出ていない大学生ながら一番心地よかったのは、誰一人として自分の職業だとか収入、社会的地位みたいな話を必要最低限以上していないことなのでした。これは偏見なんですが、多分同窓会って大して卒業後付き合いもなかった人にひたすら自分のやっていってる境遇でマウント取り続ける会だとずっと思ってるんですけど、作品で自分をぶつけることの出来る人ってきっと人に直接マウント取らなくても自分を規定することが出来るのだと思います。クソでかい会社の役員でも僕のような半分ニートの人間でもある種創作という平面ではフラットに接することができるのは、もう「愛」だと思います。

 基本的に創作は大衆消費としての需要はだいぶ飽和気味な趣があって、しかしどんな領域においてもなにかを創作する人というのは、多かれ少なかれ消費されることとは別の場所に己の内に渦巻くよくわからないものを出力したい、という動機でコンパイルに励んでいるんじゃないんでしょうか。だからこそ絵やストーリーテリングみたいな技術だけでは断定できないようなものが滲み出て、それが人にちゃんと掬われたりするんでしょうね。いつまた漫画描けるようになるかまったくわかりませんが、そういう物を描いていけると幸せだなあといつも考えています。就職は……疲れたし暫く休みたいですネ〜〜〜〜。