京都精華大学の卒展に行った話など

 昨日土曜日、相変わらずやるべきことをやらずに、しかもここ最近はろくに漫画も描かずに(『魔の周り』の一番新しい話が12月なので実に2ヶ月以上!)だらだらと無為に時間を過ごしていたら漫研の偉大なる先輩であるサム先生に精華大来ない? と言われたので行く〜〜〜ってなって行ってまいりました。

 京都精華大学というのは僕が住んでいるところよりも少し北のところ、岩倉からもう少しだけ先に進んだところにある木野という素朴でかわいい名前の土地にそびえる、漫画家を養成する学部のハシリとして有名な大学なのです。つまり、美大。これまで大変適当に漫画を描いてきた自分にとって、4年間、というか普通にそれ以前から真剣に絵や漫画と向き合ってきた同年代の人の作品と向き合うというのは、もっぱら自らのあらゆる至らなさ故のものではあるとはいえ大変気の進まない話であります。物理的には作品と向き合っているはずなのに、実質的には自分のこれまでやってきてこなかったことに対する後悔とか、今後もだらだらと絵を描いたり描かなかったりするんかなあという不安とか、そういう大学生らしいといえばらしい自意識と対峙するはめになってしまいます。(あ、そうそう、勿論漫画だけじゃなくて西洋画や日本画、造形、映像、グラフィックなどを幅広く取り揃えた総合的な美大で、しかも人文系の学術研究も行われているのですよ。すごいです)

 もともと今の大学に入ってから絵や漫画をまじめにやりはじめて、もう少し真剣になるにはさらに1年必要だった僕が少なくとも今の大学ではなく精華大のような美大を何らかの視野に入れることなどま〜〜〜〜さらっさらなかったわけで、別に今でも絵は趣味でやるのが一番よいと思っているのですが、趣味だから真剣にぶつからなくて良いというわけにもいかぬ。とりわけ最近の自分にはつねに「なにかをやり切る」という感触が信じられないほど薄く、全身全霊をぶつけた人々の作品なんか観てしまったら自分のあまりの不甲斐なさにぺしゃんこになってしまうんでないの? という気持ちさえありまして、そういうわけで若干の敬遠があったわけなのです。自分で打ってて逆恨みみたいな理由だなという趣が大変強くてなんというかアレですね……なんだか滅入るような話になってまいりましたが、ともかく今後が全部未定な僕はまあぺしゃんこになってもいいじゃないか、一度死んで生まれ変わってこい、ということできこきこと自転車を漕いて木野のキャンパスへと赴きました。

 ただ僕は決定的なことを忘れていたのでありまして、この大学にいる人々って単にこうストイックにモノへぶつかっていったんじゃなくて、多分楽しみながらやっていってたんですよね。だからなんというか、それぞれの卒業制作に、こう、強張りがないというか、非常にのびのびとした雰囲気が湛えられていたのでした。とりわけ今日も一人で再度訪れたのですが、今日はより一層制作者の方々の伸びやかな印象というものを感じ取ることが出来たような気がします。ここ、いわゆる普通の学術大学ではなかなか味わえないところではないでしょうか。まあ論文だしな。

 そういう視点で見てみると、確かに作品を作るときに、無理に身構えてしまうとなんだか妙に角ばったものが出来てしまった経験があり、逆に好きなものをゆっくりじっくりのんびり描いてきた漫画は今でも鑑賞に値するようなモノになったこともあるわけですね。そんでそうした作品の伸びやかさというのは、たぶんそれなりに客観的な印象にも影響を与えているのでしょうね。要するに僕の場合、前者の漫画はありえないほど売れなかったのですが、後者の作品はけっこうなブランクを挟んでの参加だったのですがわりかしよく売れた感触がありました。不思議なもので、楽しんで作られてないものってなぜかなんとなくそういう印象があったりします。

 なんかとりとめのない感じになってしまいましたがまあなにが言いたいかというと、もう大学生活もいよいよ佳境という趣がありますが(延びるかもね)ラストスパートとして自分のやりたいことには全力で楽しんでやりたいよね、みたいなな〜〜んかよくあるありきたりな教訓をゲットしたということですね。ありきたりなんだけど見失っていたわけで、頭でっかちになってしまうのも考えものであります。ただまあ美大に入り直すとかはまあないにせよいい加減独学で回り道するよりはある程度体系的な方向付けがあるとよいなという気持ちがつねにあるので、そこらへんを色々と考えていけばいいかなというふうに思っております。大学や専門だけが全てではないからね!

 そんな感じです。だいぶ得体の知れない恐怖が消えてきて戦える準備が整ってきた感じだ! やるわよ〜〜〜〜