ようやくオムライス

 今更ですが2022年を迎えることができました! なんだかすごくうれしい。今年も皆様の許す限りお付き合い頂ければ幸いです。


 仕事がちょっと早く終わった日があった。普段平日は疲れているので作り置きがある日くらいしか家で食べないのだが、これは今日はなんか作れるな、と。しかし買い物に行くほど気張りたくはない。家には卵と玉ねぎと少しのお肉。というわけで、おまけの自炊だから失敗してもよし、と思いこれまで失敗し続けてきたオムライスに懲りずに挑戦することにした。

 ところがどっこいわりに今回は作れてしまった。ちゃんとライスに乗っかるし、ナイフを入れたら勝手に広がる! 中も固まりきってないし……ひょっとして成功? なんというか、うまく行かないときはしばらくほっといて完全に忘れ去った頃に懐かしがりながらゆるりと作ると、その間に蓄積された経験と適度に落ちた肩の力が抜けて、うまく行くことが多い気がする。今回もそういうごはんでした。これを再現できるようになるまでが修行、とも言う。


 フジファブリックというバンドのメロディや日本語が好きで、ことあるごとに人に話したり自分で反芻したりする。昔、志村正彦という人がここのボーカルや大半の作詞作曲をやっていて、多かれ少なかれ彼に影響されている部分もある。ちなみに彼は2009年の12月24日に急逝している。

 自分がこのバンドを知ったのは実に2019年の暮れのことで、ちょうど没後10年になった頃合いであった。10年も前に、今現在のことなど片時も頭に過ぎらなかった子供の頃にこの世からいなくなった人に、今更影響を受けたりする。もちろん直接ではない。遺された曲や、あるいはバンドの中に少しずつ丁寧にしまい込まれたその時々の人となり・考え・状況に、である。

 自分が絵や漫画や文章を残していっている理由は、今のところざっくり分けて自分という人間を知ってほしいというのと自分みたいな人への励ましになればという2つの軸があるように思う。自分の作るものにはたとい意識していなくてもその時の自分にまつわるいろいろな事が勝手に刻まれていくだろうし、こういうことを考えてやっていっているのであればなおのことだ。対象と同じように、その時にそれを見て・聞いて・感じた主体の自分も、できたものの中に形を変えて残っていく。それを自分とは一切関係のないどこかずっと遠くの人、あるいはとっくにこの世からいなくなってしまったあとの人に偶然にも見つけられて、もしそこでその人の人生にいい影響を与えられるのであれば、それはどれだけ望みたいことだろうかと思う。もうとうの昔に子供に受け継いでいくことは諦めたし割り切ってもいたつもりだけれど、そうはいっても自分という存在を誰かに受け取り続けてもらいたいということは手放せなかったということなんだと思う。そうやって見てくれた人たちが、今現在の本当の自分とは違っていても、自分という人間がどういうことを考えて生きていたのかみたいなことについて思いを馳せてくれる、というような可能性がいま自分がそれでも何かを作ろうとすることの原動力なんだろう。

我々が死んだら電源を入れて

君の再生装置で蘇らせてくれ

さらばだ!

東京事変『能動的三分間』

 そういう気持ちで今年も色々とやっていけたらいいと思っています。

 本年もどうかよろしくお願いいたします。