追憶の旅

全然日記じゃない話をします。

まず前提として、ワタクシ小学生くらいの頃まで本当に『旅行=旅館(温泉+食事)』で直結していた人間で、要するに観光地とか全っ然興味なかったんですよね。もちろん電車やレンタカーでは常に爆睡。起きたら知らない場所にいる、みたいな。てなわけで「大雑把な場所」は把握できても、実際にどこに行っていたか、みたいなものは一切浮かび上がってこないのでした。

ところがまだ僕が京都に来る前、実家を離れるに当ってなんかいろいろ名残惜しくなって近所の知らない道とか自転車でキコキコしてたらファサ〜〜って思い出したんですよ、ここ、めちゃくちゃ幼い時に親の自転車で通ったワ……って。数ヶ月に一度夢の中でおぼろげに通った記憶のない道を通る夢が出てきて、一体何の予知夢やねんと思っていたんですが正体はずっと昔の何気ない記憶だったのですね。

というわけでこの経験を持って京都に居を構える運びとなったわけで、西日本の人間なので京都には何度も来た覚えがあります。つまり「なんとなく行ったことあるけど詳細を何も覚えていない」スポットがアホみたいにあるわけですな! そんなわけであの頃の記憶を取り戻す小旅行に時々出てみたりするわけですよね。やはり改めて、しかもスマートフォンの登場でより気軽に記録を残すことが出来るこのご時世に再び同じ道をたどり、自分の記憶を取り戻すのは、集団旅行とはおろか、新たな地に行く一人旅とも違う喜びというものがありますな。

それだけの話です。

剣と魔法その疲弊

 昨日折角温泉から帰ってきたのに、いざもとの生活を見ると結局メンタルが沈んでしまった。

 よく、ファンタジー的なものを題材にした話は「辛い現実からの逃避」みたいな扱いをされることがある。僕はわりと動物好きなので、色々インターネットを見ているとそういうファンタジーものの話やゲームを発見したりする。そんでもって、おれは自分はわりと厳しい現実を生きているような気がしているわけであるが、食指が動かない。

 「辛い現実」からの逃避ということであるので、とうぜんその消費にかかる体力は現実より軽いものであるべきであろう。じっさい、「会社つらい。ゲーム楽しい」みたいな人はたくさん見てきている。ゲームの世界にのめりこむことに関しては、正直もはやでっち上げと言えない数の事例が上がっている。ファンタジーを理想現実として消費することは、別に逃避という消極的なワードで表現すべきものではなく、ごく普通のことである。それが人によって公営ギャンブルや麻雀、酒や風俗になるだけである。

 しかし、その事実がある上で僕はファンタジーものを喜々として享受できない。理由は簡単で、嫌いとかじゃなく、疲れるのである。というか嫌いなわけがない。キャラクタも魅力的だと思ったヤツらが沢山いるし。なのであるが、すごい単純な話として、現実世界からファンタジーの世界に行くのは、体力がいる。もっと正確に言うと、現実からファンタジーに行くのはまあそんな体力使わないんだろうけど、逆は恐ろしいくらい体力がいる。そんでもって、僕は現実の大学とか会社とか嫌すぎてファンタジーやってる人達以上に体力がない。

 僕は映画を観に行くと、いや金曜ロードショーで映画を観た時も、色々自分の世界に照らし合わせようとする。そこで実際の現実との齟齬を実感し、時に茫然自失とする。僕は現実への揺り戻しに対する耐性があんまりにもない。まあだからこそ温泉から帰ってきて3時間で死にたくなってたわけなんですけど。というか高々2時間くらいの映画ですらそれなのに、ましてファンタジーの骨太で笑いも涙も怒りも感動も全部ひっくるめた感情のデパートみたいなストーリーなんかに触れてしまったら、ストーリーで泣いたのにその後画面から少し視線をそらした先にあるキッチンの洗ってない食器が積まれたシンクを見てまたぼろぼろと涙を落としてしまいそうになる。それはひとえに僕が今のところ自分が主人公と思えるほどなんの技能も持ち合わせていなかったり、気の合う人を見つけられなかったりするような挫折から来る心情かもしれない。

 まあ長々と書いてしまったけれど要するに僕はあのデジモンの主題歌の『無限大な夢のあとの何もない世の中』に恐ろしい喪失感を覚える、それが恐いのであんまり現実世界以外の話を読みたくない、ということ。長い間デジモンも好きになれなかった。とうぜん、自分が選ばれたことなど一回もなかったからである。でも本当にそれだけの話だったら主題歌となんの因果もないわけで、勿論本当はあなたにもそのチャンスがありますよ的な話だったのだと気づくのに20年もかかってしまった。そして気づいてから呑み込むのにも長い時間がかかるのだと思う。そしてそれまでの間、僕は今までと変わらずに静かな、密やかな現実世界での生活を真摯に追う漫画や曲に浸り続けるのだと思うし、僕はそれがネガティヴな行為であるなんて思いたくもないのである。

エッチな漫画

 ヒドいタイトルなんだけど、エッチな漫画が苦手です。

 最初は性嫌悪かと思っていた。この性嫌悪というのは今年度になって発症した概念で、要するにアルビレオさんにホレたあたりからの状況です。いやあの、想像できないじゃないですか……そういうの……めちゃめちゃ恥ずかしいことをべらべら言っていますが、マジで夢女子になると性より恋が優先することを思い知りました。おじさんは純愛がしたいです。

 ところがHな漫画に対する苦手さ、というのはそういうことではなかった。というのも、相変わらずHな絵を見てはおぉ、と思ってしまうし、いっそ自慰さえしない完全無欠貞操マンになろうかと思ったりもしたけど結局してないからである。要するに、性がアウトなのではなくてどうやらエロ漫画がダメらしい。

 というわけで、エロ漫画とふつうの漫画は何が違うのだろうか。

 僕は普通の漫画の中でも、登場人物の行動とかに思想とかが読み取れるような漫画がとりわけ好きである。えーと、羽海野チカ作品とか。あそこまで極端でなくても、芦奈野ひとしくらいでもいい。漫画を読む時に要求するのは、すなわち「思想に基づいて動く人々が交錯する物語」なんだと思う。そういうわけで少年漫画とか、もっと遡って子供向けの勧善懲悪は中々苦手である。すっかりマセた考えなのだけれど、悪役が何故悪役をやっているかというのは重要なファクターだと思う。で、あと、僕は個人的に自分のことを勝者だとか主人公みたいに考えることが出来ないので、主人公格の人物が特に気遣いせずライバル格を蹴落として、あろうことかライバルの方が一方的に間違っていたように見せるようなストーリーラインもかなり苦しい。要するに判官贔屓なんですけどね。

 つまり、漫画を読む時に僕はストーリーを求める。それもかなり限られたストーリーである。ところが、エロ漫画(同人含む)は多くの場合性を主題にする。性を主題にするということは、単にストーリーのメインテーマが性的な事象(というかエロ漫画なので性行為)というだけではなく、基本的にストーリーよりも性行為自体を描いているということである。昔ハルヒのエロ同人の書出しが「キョン! AVを撮るわよ!」だったそうであるが、この台詞が象徴するように性行為を描写することが目的の漫画は、基本的にストーリーを必要とはしないのである(精々シチュエーションを構築するための行為にすぎない)。

 エロ漫画とそうでない漫画は根本的に文法が違う。というか、ここではエロ漫画とソレ以外で分けることすら不正確である。というのも、例えばエロ漫画、成人指定ではないが浅野いにおの『うみべの女の子』は性描写がそれなりの割合で存在するが、実際に描かれているのはエロさではなく思春期の少年少女であり、むしろ僕が好きな部類である。一方でエロのない漫画であっても、単純にバトルアクションだけ描きたいというような人の描く漫画は、自ずとストーリーの薄いものになる。すなわち、「事象」について、ミクロに描くかマクロに描くか、程度の差である。だからエロ漫画においても、エロいものが読みたい人に対して描かれたエロ漫画と、ストーリーを作る上でエロを導入することが不可避だったためにエロ漫画になってしまったものとの間には、大きな差があるだろう。

 だから「エロ漫画が苦手」というのはとんだ誇張表現であり、正しくは「性行為について描写しただけの漫画が苦手」である。ただ、なぜ苦手かというのには注意しなければならない。「エロいから」苦手なのではなく、「人物の思想が見えないから」苦手なのである。そして、そうしたエロ漫画においてストーリーがないがしろにされているから、それらが通常の漫画より格下であるということも一切ないのである。ミクロ漫画とマクロ漫画は、根本的に評価の尺度が異なるからである。

 まぁだから、この文章はエロ漫画論とかじゃなくて、自分の苦手の正体をあぶり出すためだけに書いているわけなんですが、もしかしたらストーリー比率の高いエロ漫画なら読めるのかもしれない。それで抜けるかどうかは別にして。あと、人物の思想、すなわち意思が欲しいと言っているので、エロでも一般でも洗脳とか、意志と無関係の理不尽な展開とかも読んでいて疲弊する。というか僕の嗜好として、鬱展開(登場人物が苦しむ展開)は、内省的、つまり自分の頭のなかで思い悩むものに限る。完全に好き嫌いですね。

 ……で、そうやっておじさんは純愛志向になったんだとおもいます。(20歳・無職・童貞)

HTMLを組んでみよう

学生らしい唯一の活動である試験が終了しましたので最近はHTMLを組んで自分のウェブサイト作りに勤しんでおります。

「えっ直打ち個人サイトって15年前かよ!」とか「お前一週間前にWix使ってたやんけ!」とか言われるとまあぐうの音も出ないわけなんですけど、理由があるんですよ理由が! うがー!

オジサンはねえ、インターネット物心ついたときにはもうSNSが流行り始めてて、個人サイト持ってた人達も運営がめんどくさくなっていってTwitterやpixivでコトを済ます人が多くなってきてた時代の人間なんですよ。ガキンチョなんすよ。

でもワタクシからしますとね、自分で土地(ドメイン)を買って自分で建築(直打ち)したサイトってまさに城じゃないっすか! いや城でしょ! 城の手入れが面倒だからってなにドミトリーに引っ越しとんねんオンドリャ! つげ義春の漫画でなんか四畳半くらいの部屋を家とは別に借りて時々ひきこもるみたいなやつあったと思うんですけどあれです! たまには引きこもりたいんだな!

もう作りながらこれ絶対黒歴史になるだろうなという様相を呈していますが「Twitterで黒歴史作るより自作サイトで黒歴史作ろう」みたいな信条でやってるんで! ほっといてください! 以上です。

あけましておめでとうございます

top2018001

明けましておめでとうございますいやほんと! 今年もおたみんを何卒よろしくお願い致します。

さて突然昨年の話になりますが冬コミ(C93)にサークル側として初参加してまいりました。3日目、壁サークルや男性向け(直球)が目的であろう人ばかりで果たしてどのくらい自分のブースに人が来てくれるかとひじょーに不安でございましたが既刊増刷分9冊(少ない!)と新刊12冊(これも!)の計21冊ハケてくれました。お買い上げいただいた皆様、大変ありがとうございます。

あと、まだ活動はじめて日も経ってなくTwitterも凍結されて(!)すっかり交流ができなくなってしまった中私のブースに挨拶に来てくださった皆様、私からのひじょーに拙い挨拶に快く応対してくださった漫研の皆様や漫研でない皆様大変ありがとうございました。力強い励みになりました。これからも皆様のご期待に応えられるよう精進して参りたい所存でございます。相変わらずコミュ障の構ってちゃんではございますがお話していただけるとうれしゅうございます。

今年もより一層頑張ってゆきたいと思います。