一年前の自分の文章を発掘した

 ご無沙汰しております。

 本当に久々の更新になります。いいかげん日記も再開したい。なんでずっと止まっていたか・なんでこのタイミングで再開したいかはまたあしたにでも書くとして、今それを書こうとしてブログを開いたら1年間放置された下書きが見つかったので、それを上げます。

◆以下◆

 言語化したほうがいいなと思って書く。

 最近自分が絵や漫画を描くという行為について、その目的に社会的な要素が加わってしまっているみたいで、異様に線を引くのが苦しい。より具体的に言うなれば、どうやら普通の仕事をするのは困難らしく、そこから逃げ出すための(しかもより実用的な)手段として描画を用いてないか、という感じ。

 これは困る。

 元々大学に入ったときになんで漫研に入ったかというと、高校時代にかなり(個人的に)センスの良い現文の担任が教室の片隅に置いていた本の中にこうの史代の漫画があって、それが読書体験として実に強烈だったのをふと思い出したからであった。一応弁明すると、当時の自分はかなり校則のきつい学校にいて、その頃読みふけっていた本も二段組のノベルスだった。根っからの漫画少年ではなかった。

 本当だってば!

 とにかく、こうの史代の漫画に感銘を受けたことは真実だしカバー折返しに刻まれていたこうの史代の座右の銘であるジッドの「真の栄誉を隠し持つ人」という言葉についてもこのときから考えが及ぶようになった。その頃からいわゆる社会的な名誉欲・貢献欲みたいなものへの興味が徐々に消えていったような気がする。

 先に断っておくならば、こうの史代の描く人物は確かにいわゆるビジネス書やカンブ●ア宮殿のような世界ではなくそのへんのアルバイトだったり事務職だったり主婦だったりリタイアした男やもめだったりするが、だからといってこうの史代を読んだ人が全て社会へのコミットメントについて再検討するというようなことはないと思う。第一、「真の栄誉」は人によって異なり、ある人にとっては今まで通りのビジネス的な形での貢献になる。ここを否定するのはある価値観を別の価値観で反駁しているだけでたいして意味のある行為だと思えない。

 とりわけ自分は幼稚園の頃から実に15年間代わる代わるの相手に虐められ続けていたので、排斥に対してはあくまでも自分の実感の中で他人より考えていた気がする。結論から言えば、僕は自分の価値観で他の価値観をなくそうとすることは自分が受けてきた排斥を逆説的に正当化してしまうので出来るだけやらないように心がけている。

 ……話を戻すと、とはいえ排斥されることを積み重ねてきた人間にとって、もはや社会に何かを与する形で接点を持とうとは一切思えない。赤信号を守ってきちんと止まったのに、他の人はどんどんと先に行ってしまうような、そういう感じ。人に言わせれば取捨選択とか折り合いとかの問題になるのだろうけれど、少なくとも自分には遵守すべきものとそうでないものについて考える時間や体力があまりにもなかった。そうして社会的な規範に奉公したところで、得られたものというと、まあ少々歴史を修正して、それでもほとんど何もなかった。自分はわりに短気だし体力もないから、とうに滅私の精神は尽きてしまっていたのである。

 それを我儘と言われるならまあ仕方がない。

 とにかく、ひょっとしてこのアプローチで社会への接続を模索することは可能なのではないか、と思って漫研に入ってみた。ところが、大学というのは、まあここでも有り余る挫折をしてしまうのだけれど、それを差し引いても自由意志に基づく部分が高校の時とは比べ物にならないくらい大きく、要するに居心地が良かったので最初の2年は何もしていなかった。単位制になったことで、横並びの競争みたいなものがぼんやりしてきたのもよかったと思う。とはいえ何もしていなかったわけで、自分の癖として穏やかなときはほとんど物を考えないというのがあるらしい。リソースの割き方が下手というに尽きる。

 これが3回生になったときに、当時いた居心地のいい集団の中でかなり人間関係にしんどいことが発生して、急激に精神をすり減らすことになった。そのときにコミティアのことを思い出して、また漫画を描くことに手を出し始めた。結果的にはこれによって出会った人々というのは控えめに言っても本当に素晴らしく、やらない理由がなかったわけだったのだけれど、いかんせん遅すぎて自分の生き方を見出す前に就職活動がやってきてしまった(…という話は前にも書いた)。今は少しずつ働いているものの、漫画や絵を描く時間と体力はまあそれはもう美しいくらいなく、毎日今後自分がどうすればいいかよくわかっていない。とりあえず3年という言葉が昔あったけれど、3年間でコミティアは12回開催される。たまったものではない。

◆以上◆

 …文章はここで途切れている。

 一年前の自分に言うとすれば、「まあ、紆余曲折あったけど、まだなんとか、それも今のあんたよりずっとアングラな感じの漫画描いてるよ」って感じ。夢が叶ってよかったね。

 これも本当だってば。

 なんだか頭でっかちな文章だなぁ…と思っちゃうわけなのですが、とはいえ今もやんわりと似たようなことを考え続けてるし、困難は終わらないし、まあ、人生そんなもんです……

 それでは。

2021年になった

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 もう2021年になってた…

 昨年は世の中は大変だし、自分自身も大変だしで本当にろくな1年ではなく、早く明けてくれ明けてくれと願っていましたが明けた所で区切りになるのは暦で時間を把握している諸々だけで特に自分の内外の環境が好転したりはしないのでした。明けない夜はないとか言いますけど明日も太陽が登るかどうかは経験則であって確実じゃないのよん、とカッコつけのためにかいつまんで読んだ論理哲学論考にも書いてました。

 そんなわけで去年は就職までの3ヶ月より就職後の9ヶ月のほうが描いた物の量が少ないという信じられないくらいアホな1年で、しかも一番しんどかった時期と被っちゃったせいで渾身の45ページを1/3くらいで放置してしまうみたいなこともしてしまいました。漫画投げ出したのは3年ぶりとかです…そんなこんなもあったし、イベントもほとんどなかったので出した本は漫画2冊+画集1冊の3冊でした。どれも3回位に分けて売ろうと思ったら売る場所がなさすぎてまだ在庫あります……(一応、初売りとしての捌け具合はまさに「計画通り」って感じだったんスよ)

 とにかく、当分漫画も絵もビシバシ描けないし出す場もない、という状況ですので、観念して筆速くしたりとか、いろんな話考えてみたりとか、もっと周辺の知識身につけたりとか、とにかく体力つけたりとか(これが一番大事かな…)してなんとかなり次第満を持して復活! となりたいところ。まだ漫画は諦めきれないです。仕事は相変わらずこんなんに脳も体もリソース使いたくないというくらい嫌なので、怒られないライン攻めていきたい。それとも楽しくなったりするのか?

 あとこのサイト自体もせっかくだしhtml5とかでもっと見やすくできたらいいな〜とも思ってます。あらゆるところからコピペした個人サイトも秘密基地としては楽しいですけどね…

 今年は弱音吐く回数減るようにがんばります。

近況

 ご無沙汰しております。人生ずっと近況。

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 残暑見舞い申し上げます。


 ◆COMITIA132に続きまして、133も中止となってしまいました。かなりショックですが、なんとか今後も開催できるように祈るばかりです。

 クラウドファンディングをやるそうですので、興味ありましたら是非…

 https://www.comitia.co.jp/html/fund.html


 ◆関西コミティアの方につきましては、まだ不透明ですが現状開催する運びになっているそうです。最近はもうイラストを月に一二枚描くのが精一杯の状況なのですが、折角の機会なのでこの1年の絵でもまとめて本にしようかなとぼんやり考えています。


 世の中はこんなだし、自分の人生もうまくいかず、一週間以上休みがあるのに半分以上布団で眠り続けることに使ってしまいました。仕事を見直すにせよ、体調を整えるにせよ、絵のアプローチを変えたりするにせよ、何かしらのアクションを起こさないと何も好転しないというのはまあ世の常なのですが、いかんせん掃除炊事洗濯もままならない日々の中で気がつくとぬるぬると日付が進んでいくので怖いですね。とはいえ、確実に身体が重くなっていっているのを感じるので、ぶっ倒れたりする前に解決していけたらと思います。

近況報告

本当に筆不精だな!


◆大学を卒業しました

 しました! 留年しなくてよかった。直前まで本当に卒業できるかどうかすらわからなかったので、いざ式(といってもコロちゃんのせいで学部別に学位記を受け取るだけの式だったが…)に行って「あ、ないよ〜」とか言われたらえらいこっちゃやなと思いながら行った。日頃はずっとハチャメチャな人生をやりたいな〜と言っているくせに、こういうアクシデントの想定に対して異様に恐怖を感じてしまうのが、というところですね。


◆転居しました

 4年間住んでいた京都を離れてお隣の大阪に引越しました。好きな街だなとなんとなく思っていますが住んだことはないので細部を見てみないと迂闊なことは言ってられない、とも思う。道具屋筋で食器を買うのと海遊館の年パスをゲットするのを当面の楽しみにします。


◆就職しました

 一般企業に就職しました。かねてより言いまくっていた通り、就職活動は強行スケジュールを取ったら1週間で体調を崩し、続いてメンタルも崩して様々な破壊衝動に襲われましたが、いかんせん凡なので結局然るべきところに収まりました。まあ、複雑な心境ではありますが…


◆COMITIA131と132について

 ほぼ2ヶ月前ですが2/9(日)にコミティアに出ました。それについては既に書いてるのですが、どうやらそこで出した漫画が次回のティアズマガジンのプッシュ&レビューというコーナーに掲載されるとの連絡を頂きました! 自分の作ったものは日に日にこっぱずかしくなっていきますが、それでも39ページを5ヶ月間(本当に遅筆…)、いろいろなことを考えながらけっこう頑張って描いたものだったので素直にかなり嬉しいです。あとこのコーナーは読者の感想アンケートありきなので、快くもご感想をお寄せくださったどこかの誰かに感謝したいと思います。今後もなんとか描いていきたいのでがんばります!

 というわけでその今後なのですが、引き続き5月に開催される(…?)次回のコミティアに出ます! 飛行機ももう取った! 漫画もTwitterで順次上げながら描いてますので、それを本にする予定です。対岸の火事のつもりで眺めていたことが此方側どころかなんだか幅広く延焼してかなりえらいこっちゃなご時世ですが、開催されるといいな…と未だに他人事気分が抜けておらぬ。勿論無理矢理の開催ではなく、どうか程よくある程度の収拾がついているといいな…というレベルでの願いなのですが…いずれにせよ色んなことが未知の状態なので中途半端に口出しするよか好きな歌でも歌いながらじっと眺めてるのが一番かな〜


◆大学時代のこと

 そういうわけで4年間の大学生活が終わった。

 こう、心理状態をわかりやすく表現するなら、M見T美彦の小説に憧れて心にアジカンを流しながら華々しく入学を果たしたが、今流れているのは森田童子の「ぼくたちの失敗」である。更級日記を現代リメイクしたみたいな人生……

 かといって学生生活が最初は充実していて、どんどんスカスカのどどめ色みたいなものになっていったかというと、それも違う。むしろ(多くの人が辿っている気もするが…)前半2年を本当に無為に過ごしたのに比べて、研究室で本格的に研究をやって趣味の漫画も本格的にイベントに出たりするようになった後半はより自分の考えていることもこうして結構ちゃんと言葉にできるようになった気がするし、楽しい人達との出会いや交流も増えた。と同時に募っていったのは、遅かったな〜という(かなり)漠然とした気持ち。

 何やってたんだろうな、と思い返してしまうことが2年前より先に遡るとぐっと増える。1回生のころは大学に入った、という一種の成功体験に基づく形で漫然と人付き合いをやって、極めて美しく失敗した。次の1年はずっと寝ながら暮らした。結局、何をやっていいのか、どういう状態が自分にとって気持ちいいのか全然わからないまま2年を過ごして、研究室に入って(こういう状態でも研究室は結構頑張って選んだつもり)やっと自分の興味の解像度が上がってきて、服装も物言いもがらっと変わった。とはいえ(選んだ研究室が結構ストイックなのもあったけど)同期の人々はもっと視界の解像度が高かったわけで、年単位での遅れをひしひしと感じて最初の半年はかなり辛かった。でも辛くて必死になったのは本当に久しぶりだったな、と思う。

 じゃあなんで最初の2年で何もできなかったかというと中高時代の目標があんまりにお粗末だったからで、なんの目標かというと、人生の。といってもこういう職について家を建てて子犬の横にはあなた、というレベルではなくて、もっと抽象的に、自分にとって心地良い心理状態を維持するためにはどう生きていったらいいのか、という位のもの。なんでなんでしょうかね。これは完全に無い物ねだりだし自分より大きいものへのせいにして自分の責任を取ろうとしてないポーズだなとは思うが、とはいえ学校と家をどこにも寄らずに往復する中で、たとえば絵とか漫画を描いてみようとか、街をぶらついて写真でも撮ってみようとか、そういう観念が生まれる素地はま〜〜〜〜〜〜ないやろがい、とつい愚痴を言いたくなっちゃう気持ちもわかってほしい。

 こういうことを言ってると、いや〜その環境でもちゃんとやってる人いるじゃん、という声が脳内のどこかからぼんやり響いてくる。でもね〜、俺賢くないんだよ。要領が悪いと大学入るのに必死でなんもできずに年単位で日々が消えていくし、それ以外の道を少し歩いてみるだけでももう落ちこぼれ一直線みたいな恐怖にずっと襲われるんですよね。

 で、結局この恐怖感からは大学にいた4年間ずっと逃れることが出来なかった。幸いにも3回生からはだいぶ心地良い場所にいることが増えたので、自分のやりたい生き方(これもロハスとかていねいな生活みたいな具象ではなくて心持ち的な概念)って多分こうなんだろうな、と思って少しずつそっちに舵を切り始めたものの、就職活動のエントリーが本格化する翌年3月にはついぞ間に合わず、また真人間か落ちこぼれかのエクストリーム二択をウオ〜〜〜〜って叫びながらうろうろしちゃった。5月くらいにもう全部落ちたら沖縄の島に行こうと(結局極端だね)思いはじめてしばらくした頃、ひょいと拾い上げられた。これは幸運なのかな? 自分の人生ってうまくいってる?

 せめて夏は北海道の草原に寝っ転がって大学最後の夏をパーッと盛大に過ごそうと思っていたら、それもパーになってしまった。残るのは漫然とした心のおさまりの悪さ。未知のものには恐怖がつきもの? この不安を人に相談してみたら、君の人生客観的に見たら順風満帆だよ、それで不幸せぶるのはずるいよ、って返ってきた。自分の人生が客観的に順風満帆だと幸せ、かな? いい子が不良ぶるのって逃げてるに過ぎないんだろうか。

いい子になるとなんかいいことあんですか

が聞こえたと思うと、

君が想うそのままのこと歌う誰か見つけてもすぐに恋に落ちてはダメさ

とも同時に聞こえる。

 そういうことがまだ全然わからないので、つくづく自分は人よりずっと幼いのだなと思う。

 東京に行きたいとよく考えている。理由は単純で、自分の好きな知り合いは大抵関東に住んでいるから。僕はかなり知り合いが少ないので、孤独を紛らわすには東京にいるほうが都合が良いし、そして孤独を紛らわしたい時間がかなり多い。あとずっと漫画を描きたいと思っているし、少しは有名になりたいかも、とも。漫画はコミュニケーションと違って自分の状態をある程度押し付けがましく言っても受け取るかどうかの選択を読み手が可能であるというところがかなり心地が良く、この形でならかなり安心して人と話ができるような気がする。

 こういうことを話すと、上京して夢を追いたいんだねと半ば呆れ気味に言われることが多いのだけれど、全然そういうことじゃないのである。ただ穏やかに暮らしたいんだよな。碓氷さつしは静かに暮らしたい?

 自分が思ってるような暮らしのやり方、まあいわゆる「人」とか「世間」とかから見ればろくでもないんだろう。わがままだし、世の役に全然立ってないか、もしくはコスパがめちゃくちゃ悪い。でもまあ、今まで生きてきて、人に迷惑かける代わりに自分を削りながらかなり必死に「正しい人間」をやってきても、あんまり心理的な見返りはなかったし、誰も何も言ってくれなかったな、という記憶のほうがずっと濃いのだ。自分が思ってること、ひょっとしてそれこそちょっと流れに抗ってみているスレた思春期みたいなものなのだろうな。だから世の中のことも「なんかスカしてんな〜」という気持ちになるのかもしれない。幼いので。まあでも、それなら遅い思春期でいるのも、ちょっと堪忍してほしいな〜。それとも普通の人はもうとっくに折り合いをつけてるんだから、諦めたほうがいいのかな。

 この先自分がどうなってるのか全然わからない。なんとなく、ずっとこういうことを言いながら、それかちゃんと自分の中で折り合いつけて慎ましく生きていくような気がする。ま〜生きていってるなら悪いことじゃないのかな? 多分一番人に迷惑かけてないし。でもまあ、自分が人に迷惑かけてこなくても、平気で自分の大事な場所を踏み荒らして、しかも踏み荒らされても仕方なくない? という顔をするような人ばかりと出くわした。真に慎ましい人はそんなことに怒ったりせずに自分の義を貫いて、貫けずに爆発してしまった人は偽物でとんだ傲慢野郎だったりするんだろうか? 頑張って耐えて耐えて、ついにうまく行かなくて最後に落ちこぼれと言われて終わっちゃうの、切ないな〜。そんな人生、かなり嫌だな。

 世のため、というけど自分に充足してない人にとって世のためって、どんなのなんだ? まず自分の人生をなんとかしたいな、と自分はよく思う。青いな〜。でも俺の青春、これからだしな!

 以上、とても大学を卒業した人間が描いてるとは思えない青臭い気持ち! まあとりあえず生き延びるために頑張るぞ! ウオ〜〜!

言い訳をする

 COMITIAに半年ぶりに出た。前回30冊刷って20部くらい売れた(その後関西コミティアに合わせてもう30冊刷ったらさらに30部売れた)ので、今回は50部くらい刷ろうかなと考えていたが、印刷会社の戦略にまんまと乗せられて千円ちょっとしか差額がなくてお得! ということで調子に乗って100部刷った。我ながらめちゃくちゃな商売をやっているなと思う。ありがたいことに半分くらい人の手に渡ってくれた。生きてるといいこともあるね。

 1月のアタマに卒業論文を出し、3回残りのゼミに出て、2月のアタマに本当にすんなりと口頭試問を終えて、いよいよ社会にブチ込まれるのを待つ囚人というような立場になってきた。とはいうものの、やっていることは至って変わらずちゃらんぽらんである。なにせずっと漫画と絵しか描いていない。なんなら生活習慣はもっと歪んでいて、5時(29時?)に寝て12時位に起きる大変規則正しい生活をやっている。治るかどうかは……よくわからない。

 生活を少しだけまじめに、そして結構ぜいたくにやるようになった。自分の好きなものに忠実になろうと、ちょっとがんばった。夕方に値引きの刺身用の魚を買って、自分で切り分けて食べる。美味しい。沢山買って残りは醤油とみりんで漬けて後ろ2日に渡って食べる。卵黄をのせてみたり、海苔を乗せて出汁茶漬けにしたり。よそで食べてしまうよりずっと安い。暇だからできること。

 こういうことに時間とお金を使っていると、何が不幸せなんだとか、良いご身分ですねと時々言われるのだけれど、そうかもしれませんね、としか言えない。僕は主に自分のために生きているので、自分の心地よさのためならなんでもして、それが時間やお金の浪費になる。それでいざ時間やお金がなくなった時に、誰かに助けを乞うたりするつもりは毛頭ないので、良い身分だからなんだと思う。不幸せかどうかについても自分で決める。そういうわけで、僕は人の人生に対していちいちけちをつけたりしないのだから、こちらも何かを言われる筋合いはない。お互いのやりかたで生きているというだけだ。百均の健康青竹を踏むときにそれを作った海の向こうの人の顔が浮かんでしまうというような随筆を昔読んだけれど、僕は気持ちよく生きるためにはノイズとしか思えないので極力表面だけを見て生きている。自分でもそう思っているのでエゴイズムと言われてもしょうがない。でも、各々顔を見合わせてそろそろと前進するよりは、気持ちよく生きようと自分のくらしを懸命に頑張るほうがよっぽど良いような気がするのだ。そうやって自分をしっかり持ててこそ、振り落とされてしまった人たちを助けたりできるんじゃないんだろうか。