ご飯以外

 今日は特になにも作っていないのでご飯以外の話をします。


 昔からぼんやりと浮かんでくる景色がある。よくある表現で思い出の中のイメージって淡くパステルな感じで色づけられがちだけれど、まさしくそのくらいの淡さで、ススキだか背高泡立草だかみたいなものがゆらゆら揺れている。単線をゆっくり気動車が走っていき、自分はその隣のひび割れたアスファルトの狭い歩道を自転車に乗って眺めている。そういうイメージ。

 ふとそれに気付いたのが小学生くらいの時。以来、夢の中だったり、退屈なときにはっと白昼夢のように思い出したりと、とにかく頭の中で見つかったり隠れたり、というのを繰り返して、そのたびに一体あれはなんだったんだろうなあ、とか考えていた。学区内にはなかったし、親に聞いてもそんなところに出かけたことはない、と言うのだ。でも、果たして小学生の想像力でこんなことが描けるかというと、いくら無限のインスピレーションがあったって難しいんじゃないかとも思う。じゃあこの光景はどこから来たのか。なんなら、本当に前世みたいなものがあって、その時見ていた景色を無意識で反芻しているのかも、とか妙にロマンチスト気取りになったこともあった。

 中学生になって、堂々と学区の外に自転車で出られるようになった。少し漕いでいると、あんまり馴染みのない踏切に差し掛かって、ふと横を見たら、なんとそこに今まで見ていたものがそっくりそのままあった。電柱の位置も、花や草の高さも、走ってくる気動車の「のろさ」も。──要するに、母親の漕ぐ自転車のかごに座りながら、何かの行きがけか帰り道かに、なにげなくこの道を通ったことがあったのだ。それであまり馴染みのない道だし、小学校に上がって、誰かの自転車かごに座ることはなくなり、一人では学区内しか動けなかったからそれに気づかずに数年間過ごしていただけだったのだ。正体見たり枯尾花。

 それから時々自転車で街に向かう時、わざと遠回りしてその道を通っていた。今も、帰省して一人でふらふらする時に、必ず通る。田舎町でも帰るたびにどんどん店が変わっていくし、思いがけないところが空き地になって、そこにまた建物が立ったりする。幸いこの道はそういう目まぐるしさとは程遠くて、道沿いの建物も同じままで、廃線をまぬがれた気動車が今ものそのそ動いている。でも、あの頃見えていたものと全く同じものしかないのに、なんとなく他人行儀で通り抜けてしまうのだ。