生姜焼き

 大学生の頃以来に生姜焼きを焼いた。

 かもめ食堂という映画が大好きで、その中にステンレスのフライパンで、じうじう生姜焼きを焼くシーンがある。その時のコントラストの美しいことよ。6月にボーナスを使って、たいして料理がうまいわけでもないのにステンレスのフライパンを買ったのはそういう理由だった。つまり、今日生姜焼きを焼いたことでようやく目的を果たした、とも言える。

 机にたくさんの生姜焼きと副菜と味噌汁とをとんとんと並べて、最後にご飯を置くとなんだかお盆が照れくさい。いかにも定食屋といった見てくれ。ああ、この直球勝負の気恥ずかしさだったのだな、2年近く作っていなかったのは。でも、もう照れくささを認めてやる歳になってきたように思う。


 思えば入学祝いにパソコンを買ってもらって(大盤振る舞いだね)、中学生の頃にはじめてブログを作った。それは2年くらいで終わった。高校の時に小説を書いてみて、半年で終わった。そして大学の真ん中くらいで今のページを作って、断続的にではあるが今も続いている。

 続けることの大切さ、みたいなものが言われるようになって久しく、見向きもされなくても何かに打ち込み続けた人がふと取り上げられて持て囃される。そういう中で自分が結果的に中学生のころ始めたことがまわりまわってなんとか今も終わっていないというのは、果たしてえらいことなのかと時々考える。

 大学のころから何かを作る集団に身を置いて、自分も漫画とか絵を描いてよそに見せるようになった。それもまだ続いている。漫研にいたころ、部に所属していて部費も払っているし事務活動もしていてちゃんと何かを描きたいという意志があって、でもちょっとしたイラストばかりで漫画は続かないとか、そういう人もそれなりにいて、よくどうしてそんな続くんですかと聞かれたりした。あまりにもよく聞かれるものだから、一瞬えらいのかと錯覚しかけたことも、あった。

 そんなもんではない。

 今は自分の中では信じられないくらい色んな人に自分の考えている事を見て・知ってもらえてすごく嬉しい。でも最初の3年位は、もっと言えばブログを何回かつくっていた頃から、人に見てもらえなさすぎてもうやめようかと思って実際に距離を取ったこともまあまあある。ずっと自分の考えを伝えるためのツールとして考えていたから、それが果たされないのならしょうがないことだ、という感じ。ところが結局ほかに手段はないと知って、しぶしぶ机に戻る。それだけである。

 だからそれが全てとはもちろん言えないのだけれど、もしかしてここで机に戻らなくなった人、あるいは自ら机から離れていった人というのは、単にほかに自分の生きる場所を見いだせた人のように思える。自分が何かを形にすることを続けてこられたのは、別に飽き性でないとか自分を律してきたとか、まして作ることが楽しくて時間を忘れたとか、そういうものでは決してなかった。いまでも時間をかけて描いて、眠れずに起きて働いて、今なにをしているのか、と考えながら一日を過ごしている。あくまでも自分の話だけれど、それを称賛されるいわれはまったくない。たとえば、今となりに価値観を深く共有できる相手がいたならば、どうしてわざわざこんなボトルメールみたいなものを余裕もないのに流し続けているだろうか。じぶんの継続とは高々その程度の話で、最初から力になる余地などなかった。それでも、それを抱えて生きて、それを受け入れてくれる人とときどき話して、どうにかやり過ごしていくしかないんだろう。

 明日もなんとか生きていきたいです。

自炊おやすみ

 ちょっと気持ちが沈んでいたので自炊含めて掃除洗濯もお休みして明日に回した。今日は詩集を買ったり(わざわざ言っちゃうくらいには普段買わないもの)、久々に高いラーメンを食べたり、映画を見たりした。

 気が沈んだ時に慌てて色々やろうとするとどんどんとドツボにはまっていく。大抵それでどうしようもなくなった時にふと読んだものに助けられて立ち直ったりする。ということは、これはまずい、となればすぐに絵も家事もやめて一旦寝て読みたかった漫画を買うなり見たかった映画を見るなりすれば(比較的)よいということ。ちょっと昨日からしんどく、明確な原因があるわけでもなかったけれど昔よりはリカバーがうまくなった気はする……ただ、休みがあってお金があってできることだから、もう少しみんなに休むことがやりやすい世の中であってほしいとは思う。


 今日行った映画館の、チケット発券機のすぐそばで子供が佇んでいた。特に遊んでいるわけではなく、しっかりと立って親がいるのだろうか一方向を見ている。スペースを塞いでいるわけではないから隣に立つこともできたけれど、いきなり知らない大人が前にたちはだかるのも申し訳なく、すいません、と手刀を作りながら立ち入った。子供も、すみません、と言って後退りした。ごめんなさいね、と子供に重ねて言った。

 一時期だけ店頭での販売の仕事をやっていたことがある。比較的家族連れが多く、小さい子供を連れてくる親御さんも多かった。そういう時、キッズスペースに子供を連れて行ったり、ジュースをあげたりするのだけれど、どうしても丁寧語になってしまう。こちらです、ジュースになります、ここに置いておきます。子供もかしこまるから……と上席にたしなめられた。あるいは、一年下の新入社員にも丁寧語で話すし、君付けもなんだかむず痒い。帰省した時に祖父母に会う時、敬語で話してしまって、なんでそんなに他人行儀なんだと親に怒られないにせよ指摘される。「敬語グセ」である。

 立場について考えることが多い。自分の考えるところとは全然関係ないところで、いつの間にか立場の違いが生まれて、接し方を変えてその関係を理解する・維持することがどうやら大切なことのようだ。でも、自分にとっては後輩も子供も祖父母も、ほかのすべての人と同じように丁寧に接したいし、自分はこういう人間であるということを伝えたい。相変わらずいろんなことが自分にはこなすのが難しいから、せめてまじめに何かを考えている、ということだけでも(余計な押し付けかもしれないけれど)伝わればいいなと思う。

 せっかく詩集を買ったので、ひとつ。

子供 石垣りん


子供。
お前はいまちいさいのではない、
私から遠い距離にある
ということなのだ。


目に近いお前の存在、
けれど何というはるかな姿だろう。


視野というものを
もつと違つた形で信じることが出来たならば
ちいさくうつるお前の姿から
私たちはもつとたくさんなことを
読みとるに違いない。


頭は骨のために堅いのではなく
何か別のことでカチカチになつてしまつた。


子供。
お前と私の間に
どんな淵があるか、
どんな火が燃え上がろうとしているか、
もし目に見ることができたら。


私たちは今
あまい顔をして
オイデオイデなどするひまに
も少しましなことを
お前たちのためにしているに違いない。


差しのべた私の手が
長く長くどこまでも延びて
抱きかかえるこのかなしみの重たさ。

『表札など』、1968

 明日もなんとか生きていきたいです。

ケーキ2日経過

 甘いものが好きで毎晩コンビニに寄ってなにか買って帰る。今日もそのつもりで遠回りしてコンビニに行ったのだけど、入店直前にそういや日曜に2つ買ったケーキのうち残りの一つがまだ家にあることに気付いた。昨日食べようとしてすっかり忘れてたもの。家にケーキがある! という喜び半分、結構いいケーキなのに2日置いちゃった……というダメさ半分。

 でっかい正三角形のショートケーキが残っていた。案の定、2つも乗ってるいちごがちょっとしんにゃりしていて、(自分が)なさけないから写真を撮るのはやめた。でもちゃんと美味しい。2日前に食べたほうがもっと美味しかっただろうけど……


 所謂おたくの界隈で使われる「履修」という言葉がわりと苦手だ。最後まで読みましたか、続篇は、スピンオフは、映像は、元ネタは……というふうに、なんだか問い詰められているような気持ちになるし、自分で選んで楽しんでいたものが義務感めいてきてしんどくなってきたりする。自分の娯楽は自分で選びたい……

 とはいえ、版権作品に対する態度みたいなものに関してはどちらかと言えば狭量な人間だ。公に出ているものについて考える時に、実験的に逸脱させたり、思考のくせとして方向づけられることこそあれ、その自覚が薄れていつの間にか当然のように受け入れてしまうようなこと、あるいはそもそも目の前のものを見ない態度は、せめて自分だけでも避けていきたいなと思う(自分が強制力を発揮して良いのは自分に対してだけ、という意味で、自分「ですら」徹底できていない、という意味合いではない)。一見すれば矛盾だし、程度の問題ということであっても、その線引が不明瞭で危なっかしい。ので、自分でよく理解するためにたとえ話でなんとかすることにしてみた。

 誰でも通る道にりんごの木があって、とくに取って食べたりしても咎められない。そのうち切ったり熱を通したりしてお菓子を作ったりする。そのうちりんごのことについて詳しくなるだろうけど、りんごを食べているだけの人はもちろん、試行錯誤しながらお菓子を作っている人に対して、君たちはりんごが何たるかまるでわかっていない、というアプローチになると具合が悪い。その一方で、あまりちゃんと作られていないお菓子とか、良さの出ていないお菓子がえっさほいさと作られて、それがどんどんと広まっていくと、木になっていたりんごの多くがそういう使われ方をしていって、ちゃんと作られたお菓子はいつの間にか見なくなってて、木にもなにも残っていなかったりする。時々、木をちゃんと間引いたり、傷んだ所を取ってしまったり、倒れないように支えを足すひとがいて、残るところの木は残っていく。お菓子はおいしいし別にわざわざ材料のことをいちいち考えながら食べる必要もないが、それはそうとして誰かが木を見てやらなければいずれお菓子は作られなくなっていく。そういうイメージ。

 この例えがどれくらいわかりやすいかというと、全然わかりやすくないし、著作権というかなり複雑なものを無理やり作物にたとえているので齟齬がものすごく多い。たとえば版権のつくり手を木に例えたけど、能動性で大きな違いがあるのでもうすこし込み入った話をすると通用しない。この話では基本的なことしかわからない。なんだけど、今でもどこかでなんだか議論めいたものが起こっていると、加わったりはせず、これはりんごだと……とか考えたりしている。

 そういう感じで明日もなんとか生きていけたら良いと思います。

ご飯以外

 今日は特になにも作っていないのでご飯以外の話をします。


 昔からぼんやりと浮かんでくる景色がある。よくある表現で思い出の中のイメージって淡くパステルな感じで色づけられがちだけれど、まさしくそのくらいの淡さで、ススキだか背高泡立草だかみたいなものがゆらゆら揺れている。単線をゆっくり気動車が走っていき、自分はその隣のひび割れたアスファルトの狭い歩道を自転車に乗って眺めている。そういうイメージ。

 ふとそれに気付いたのが小学生くらいの時。以来、夢の中だったり、退屈なときにはっと白昼夢のように思い出したりと、とにかく頭の中で見つかったり隠れたり、というのを繰り返して、そのたびに一体あれはなんだったんだろうなあ、とか考えていた。学区内にはなかったし、親に聞いてもそんなところに出かけたことはない、と言うのだ。でも、果たして小学生の想像力でこんなことが描けるかというと、いくら無限のインスピレーションがあったって難しいんじゃないかとも思う。じゃあこの光景はどこから来たのか。なんなら、本当に前世みたいなものがあって、その時見ていた景色を無意識で反芻しているのかも、とか妙にロマンチスト気取りになったこともあった。

 中学生になって、堂々と学区の外に自転車で出られるようになった。少し漕いでいると、あんまり馴染みのない踏切に差し掛かって、ふと横を見たら、なんとそこに今まで見ていたものがそっくりそのままあった。電柱の位置も、花や草の高さも、走ってくる気動車の「のろさ」も。──要するに、母親の漕ぐ自転車のかごに座りながら、何かの行きがけか帰り道かに、なにげなくこの道を通ったことがあったのだ。それであまり馴染みのない道だし、小学校に上がって、誰かの自転車かごに座ることはなくなり、一人では学区内しか動けなかったからそれに気づかずに数年間過ごしていただけだったのだ。正体見たり枯尾花。

 それから時々自転車で街に向かう時、わざと遠回りしてその道を通っていた。今も、帰省して一人でふらふらする時に、必ず通る。田舎町でも帰るたびにどんどん店が変わっていくし、思いがけないところが空き地になって、そこにまた建物が立ったりする。幸いこの道はそういう目まぐるしさとは程遠くて、道沿いの建物も同じままで、廃線をまぬがれた気動車が今ものそのそ動いている。でも、あの頃見えていたものと全く同じものしかないのに、なんとなく他人行儀で通り抜けてしまうのだ。

長芋・アボカド・刺身こんにゃく

 今日は作っていないものの話をしようと思います。

 切ってそのまま醤油と卵黄で食べようと思って昨日アボカドを買ったものの、先になめろうを作ってしまってそっちを今日明日くらいで食べきらないといけないのでアボカドを切るのをもうすこし後ろにした。熟成だと思って昨日から定期的に触っている。待ち遠しい。

 生のまま醤油で食べるのが美味しいもの、野菜とかにもたくさんあることに子供の頃は気づかなかった。よく長芋を短冊切りにして海苔と卵黄をのせて食べたりする。刺し身というよりユッケな趣だが、長芋には醤油そのままより卵で若干クッションがあるほうが馴染んだ味になるような気がする。あと、毎回食べよう、食べようと思っているけどいつまでも買えていないのが刺身こんにゃく。昔修学旅行のお昼に出てきて、こんな美味しいこんにゃくの食べ方があるのかとびっくりした記憶がある(中学生に刺身こんにゃく出してるのはどうかと思うけど……)。次こそ買いに行きたい。

 明日も美味しいもの食べて生きていきたいです。