回鍋肉

 すごい久々に回鍋肉を作った。クックドゥとかじゃなくて(でも結局クックドゥがうまかったりするんだよね)豆板醤と甜麺醤を自分で入れる、アレ……

 ワンルームのキッチンは本当に狭く、あの広さで手際よく料理ができる人が羨ましい。自分の部屋はしかも1Kで廊下にキッチンがひっついているアレなので、純粋にキッチンの広さが作業空間の広さになる。まな板もはみ出るし鉄鍋はシンクに入らない。料理する人に優しい住宅になってほしい。というか、基本的に生活をするのに工夫が必要になる住戸というのは、そもそも人が住むべき場所ではないのではないか……

 そういうこととか、単純に工程が増えて面倒ということで、これまで炒めものをする時に油通しを完全にサボっていた。今日からしばらく夏休みなので、せっかくだし面倒なことでもするか……とはじめて油通しをした。確かに、キャベツとか油でスケスケにならずにちゃんと淡い黄緑でシャキシャキのまんま仕上がった。すごいなこれ。完全にナメていました。こうやってあんま気張らずに料理の質をあげていけたらいいな……と思っている。


 人恋しくてインターネットをやっているけれど、いやなこともまあまあ多い。とは言っても、直接自分が攻撃されたとか、そういうことは(やっぱり人付き合いの狭い人間というのもあり)あまりなく、どちらかと言えば人のあまり優しくない感情を目にして、それを自分に向けられたらどうしよう、というようなことを考えて勝手に落ち込むことが多い。困った習性だ……とは言え、何かにつけて怒ってしまうことは、すこし遡れば自分だってよくやっていたことであるし、今とここだけで人となりを判断してしまうのも、変化とかを否定しているようだし、結局自分までひっくるめて人を嫌いになってしまうだけなのでそれもよくないな……と思う。

 何か出来事があると、それについて意見を言わなければならない、という観念があったような気がする。最近はあんまり景気がよくなさそうなこともあって、いやな出来事とか、難しい出来事も多い。それに、自分はあまり色んなものを積極的に見聞きしないから、手元の材料もない。そういうときにちゃんと、何か言えるほど知りません、考えたけどわかりません、と言えることって、実は物凄く大事なことなのではないかと最近は思い始めている。何か論評みたいなものを無理やり口から出して、それで終わり、とするよりずっと何かを考えることに対して真摯なんじゃないのかなと思う。それでもうっかりすぐ結論づけようとしてしまうことも多いし、知りません、と言ってその後何も考えないこともある。とにかく、何かについて考えるというのは、自分には凄く難しい。難しいけれど、無下にすることなく付き合っていけたらいいなと考えている。

 明日もなんとか生きていきたいです。