昔のこと

なんか実家帰ったら中高生のときに買ってた同人誌ちらほらあったので整理してました。この頃のほうが自発的に同人誌買ってたかもしれない。東方ですねー、中2のときに数少ない友人から布教されて、その頃から高校卒業まで大して遊び相手もいなかったのでPCが遊び道具だった自分にとって人格形成の大部分と言ってもいいかもしんないですね。……まーその後いろんな他のジャンルが勃興して、言い方悪いんですけどはじめてイナゴというか、そんなサクッと別のジャンルの漫画描いちゃうのね…みたいなのをたくさん経験してから、あんまり同人誌に手を出せなくなってしまったんですが……。いや勿論一つのこと永遠にやってろってことを言いたいんじゃないし、別の描いてたって好きなもんは好きなままってことのほうが多いだろうし人間一人で描けるページ数も限界あるから並行は無理だし……というのはわかるんすけどね。ブログとかでもめっきり話題が出てこなくなったりするとさすがに悲しくなって、それでどのジャンルでも二次同人を積極的に探したりはしなくなりました。……そういう話をするつもりではなかった。

で本題なんですけど、本棚のすみっこに紙の束みたいなのがあってなんやねんこれと思って手にとったら、高2か高3くらいのときに描いてたよくわからない漫画でした。このころから漫画描いてたんか! と最初は思った。初めて原稿用紙買ってそこに描いたのは2年前、デジタルに手を出したのが1年前ということは(面倒くさい性格なので)ちゃんと覚えてたんですが、そういやノートとかにちゃんとコマ割りしはじめたのっていつだったんだろうな、と思ったらこの頃からだったんすね。と思うととたんに更に昔のお絵描きの歴史みたいなのが思い出されてきて、そういやまじめに絵を描こうと思ったの中3でそん時描いた東方インスパイヤみたいなキャラの絵を親に発掘されて無限に死にたくなったなとか、描いた絵を本当に数少ないオタクの知り合いに見せてたよなとか、そういうの。

思えば昔から大して絵を描いたあとのゴールというか、一種の目的というようなものは変わっていないのかもしれませんね。まあ誰かに見てもらうことばかりを目標にするというのはかなり不安定なファクターであまり褒められたものじゃないのかもしれませんが。それにはじめて原稿を完成させたときから、段々絵を描くというのが単なる人と関わるためのツールだけではないという感じにもなってきました。言わずもがな描くこと自体が相当楽しいわけですね。勿論人に見てもらうことは今でもかなり意識しているし悪戦苦闘(というか悶絶?)してるわけですが、多分苦しみながらでも絵を描けるというのは、やはり描くのが好きになっているからだと思います。kors_kも言ってたぞ。難関を乗り越えるのを楽しいと思えるのが才能っつーか適正かな? って。

まあ単純にどうしても一人でもそもそ戦うことになる受験勉強とかが終わって、人とインタラクティブに関わっていくことのできるお絵描きのほうがより励みになるのだろうな~~とか漠然と思っています。うーん、この文章も青いですね。まあ精々萎びたおとなになった頃に見返して適当に若返っていきたいと思いながら入力しています。まじか。

最近のこと

今更ですがコミケ行ってました。

本一応出しました。本当に一応ですが…それを手にとっていただいた方ありがとうございます。
あと休みの間まともに生きる気がないので最近はずっと絵を描いています。スピードないのでゆっくりですが……とにかくそんな感じです。エンターテイメントは特にありません。

C94

ブログの方でも告知します。直前なんですが。

oshinagaki_t

新刊とは名ばかりのインターネットで発表済みの短い漫画をいくつかまとめた本です。本にしたことは一度もないので新刊です。安い(当社比)ので募金感覚で買って下さい。

あと今回も寂しい卓上を彩ってくださる委託本を二つ置いています。僕より絵がうまいので(写真もうまい)どっちも買って見比べたりしてください。

当日僕は寂しそうに席に座っています。ブースまで碓氷先生に励ましのメッセージをお寄せ下さい。

ではでは。

ちょっと最近人間関係でキツイことが連発しすぎていて流石にメンタル死んでる芸人としてももう芸にはならないくらい死んでる状況になってきた。

なんというか、どうも僕は関わっているひと周辺からするとメンタル死にながらわけのわからないことを言い散らして人に正論で成敗される様をエンタメとして消費される存在らしい。そこに自分という個人の意思はとくに介在していないので、ちゃんと人間として見てくれる人はいない。見世物小屋ですね。

別に自分が地球で一番正しいなんて地球外侵略者にお前がそう言わないと世界滅ぼしてやるぞくらい脅されない限り言うつもりも思ってもないし、できるだけ社会に適応したほうがいいとはおもうので引っかかったらつっかかってくれたらいいとは思うんだけど、まーーーーーどうしようもない人だと思われてるならしょうがないですね。闇金ウシジマくんの登場人物とか助けてやりてぇ! って気持ちに全然ならないのと同じですね。

薄々気づいてて、できるだけ考えないようにしていた事実として、自分の考えひっくるめた人格を、別に賛同とかしなくてもいいんで容認くらいしてくれる人もなんというか、ぶっちゃけ、いない、ということにやっと立ち向かうことができました。こう言ったらある人にそれはお前が人を容認しないからだなんて言われましたが、これ以上どうやって人を容認していいのかわかりません。あとそうやってお前のこと認めるやつのこと切り捨てるのかなんてことも言われそうですが、僕にはわかりません。見えません。認識できないものは、いないも同然では? そうして去った後にアイツは人を切り捨てる、人を選ぶ無礼なヤツだ、なんて言われても、結局のところはその人のことなんて大して考えてないからそうなるんじゃないの? くらいにしか思えません。別にいいと思いますけどねー。他人に労力割くのってめんどくさいもんね。見返り来なかったら普通はやってられないですね。僕もやってられません。

なので、暫くそういうところ最小限にしてじっくり考えていきたいと思います。ていうかコミケの原稿あるんですけど、なんでこの時期にこうなっちまったんだ。

まーーーーーこうやってここでもそもそ書いてる時点で構ってちゃんとか言われてもしょうがないですね。勝手に言っててください。

半年

上半期何やってたんだ、とは言ったものの、よく考えたら自分のウェブサイトはこつこつ作っていた。

今どき時代遅れのフレーム+タグ打ち+非SSL化で、よく自分でもこんなもんつくろうと思ったよな、とは思わんでもないが、tumblrやwix使ってみた時とは比較にならないくらい、自分の「城」、という感じがあって、よい。(ドメイン取ったのも大きいかもしれないし、wordpressでもよかったかもしれない)

もともと城は人を招くための場所ではなく、住むためのところである。(これも間違いで、守るためのもの、という側面のほうが大きい)もとより今の時代に人がこうしたサイトを巡回することもなくなっていっただろうし、専らエクスプローラでは再現することのできない達成感のようなものを味わうために、時々自分で覗く場所となっている。

うまく前には歩けないという感触がやっぱり強く、否定出来ないけれど、まあ時間は過ぎていくので。