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COMITIA139

 ご無沙汰しております……という程ではないのですが、そういえばどんどんこっちでの告知が蔑ろになっておりました。今回もCOMITIAに出ます。相変わらず(というかますます)大変な時節ですが、当分よそに出ない環境に今おりますのでそこらへんを鑑みて出展いたします。ここの判断は本当に人による。たいへんだ

 こんな感じです。例によって終了後に通販は再開しますので、ご体調等考慮の上でどうかよろしくお願いいたします。


 今回は『一壷天2』と『魔と談議』が新刊です。

 『一壷天2』は昨年11月の『一壷天』に引き続きやりたい放題の雑誌第2号です。今回は自分除いて7名にご助力賜りました。本当にありがとうございます。こういう愉快な場所を継続していけるように自分も裏方業務含めてがんばっていきたいです。

 基本的に自力で創作の本が出せる人ばかりなのですが、それでもこういう雑多なその他の部分はどうしても表に出づらいところがあるので、そういうものを拾ってみんなに見せていけるような感じの場所になっていけたらいいと思っています。


 『魔と談議』は、もう表紙と題名でなんとなく察しが付きますが3年前に出した『魔の周り』と『談議など』について、ありがたいことにいまだに言及していただくことがありますので記念に合本にして装幀もすこしがんばって愛蔵版っぽくしました。漫画はないですが実は描き下ろしの新規カットを心ばかりの御礼として入れております。個別の本はだいぶ前になくなってしまったので、新規あるいは改めてお求めいただける方、何卒よろしくお願いいたします。


 ほとんど自慢話ですが、数日前在庫を発送すべく棚から在庫を下ろしたら想像以上に冊数がなくてびっくりしました。本当に分不相応と思えるくらい恵まれていると思います。最近はようやく他のことに手を広げ始めていて漫画のスピードが輪をかけて牛歩になってしまっていますが、引き続き人を豊かにできることもあるようなことをやっていけたら面白いなと思います。

 それではどうかよろしくお願いいたします。

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ようやくオムライス

 今更ですが2022年を迎えることができました! なんだかすごくうれしい。今年も皆様の許す限りお付き合い頂ければ幸いです。


 仕事がちょっと早く終わった日があった。普段平日は疲れているので作り置きがある日くらいしか家で食べないのだが、これは今日はなんか作れるな、と。しかし買い物に行くほど気張りたくはない。家には卵と玉ねぎと少しのお肉。というわけで、おまけの自炊だから失敗してもよし、と思いこれまで失敗し続けてきたオムライスに懲りずに挑戦することにした。

 ところがどっこいわりに今回は作れてしまった。ちゃんとライスに乗っかるし、ナイフを入れたら勝手に広がる! 中も固まりきってないし……ひょっとして成功? なんというか、うまく行かないときはしばらくほっといて完全に忘れ去った頃に懐かしがりながらゆるりと作ると、その間に蓄積された経験と適度に落ちた肩の力が抜けて、うまく行くことが多い気がする。今回もそういうごはんでした。これを再現できるようになるまでが修行、とも言う。


 フジファブリックというバンドのメロディや日本語が好きで、ことあるごとに人に話したり自分で反芻したりする。昔、志村正彦という人がここのボーカルや大半の作詞作曲をやっていて、多かれ少なかれ彼に影響されている部分もある。ちなみに彼は2009年の12月24日に急逝している。

 自分がこのバンドを知ったのは実に2019年の暮れのことで、ちょうど没後10年になった頃合いであった。10年も前に、今現在のことなど片時も頭に過ぎらなかった子供の頃にこの世からいなくなった人に、今更影響を受けたりする。もちろん直接ではない。遺された曲や、あるいはバンドの中に少しずつ丁寧にしまい込まれたその時々の人となり・考え・状況に、である。

 自分が絵や漫画や文章を残していっている理由は、今のところざっくり分けて自分という人間を知ってほしいというのと自分みたいな人への励ましになればという2つの軸があるように思う。自分の作るものにはたとい意識していなくてもその時の自分にまつわるいろいろな事が勝手に刻まれていくだろうし、こういうことを考えてやっていっているのであればなおのことだ。対象と同じように、その時にそれを見て・聞いて・感じた主体の自分も、できたものの中に形を変えて残っていく。それを自分とは一切関係のないどこかずっと遠くの人、あるいはとっくにこの世からいなくなってしまったあとの人に偶然にも見つけられて、もしそこでその人の人生にいい影響を与えられるのであれば、それはどれだけ望みたいことだろうかと思う。もうとうの昔に子供に受け継いでいくことは諦めたし割り切ってもいたつもりだけれど、そうはいっても自分という存在を誰かに受け取り続けてもらいたいということは手放せなかったということなんだと思う。そうやって見てくれた人たちが、今現在の本当の自分とは違っていても、自分という人間がどういうことを考えて生きていたのかみたいなことについて思いを馳せてくれる、というような可能性がいま自分がそれでも何かを作ろうとすることの原動力なんだろう。

我々が死んだら電源を入れて

君の再生装置で蘇らせてくれ

さらばだ!

東京事変『能動的三分間』

 そういう気持ちで今年も色々とやっていけたらいいと思っています。

 本年もどうかよろしくお願いいたします。

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2021年おわり

 2021年も終わりかけです。少し早いですが一通り表立った活動はやり終わった感があるので、忘れないうちに書き上げていこうかと思います。

 今年もなんとか生き延びることができました。毎年年が明けるたびに「今年はちゃんと生きられるだろうか……」と思っていますが、比較的なんとかなったのかと思います。特に前半の5ヶ月に概ねあまり思い出したい出来事がなく、代わりに6月に入ってからすさまじい加速をしたような実感があります。トータルだと、まあまあはっきりとプラスのような感覚。

 私生活や交友関係の話をしてもしょうがないので、活動に絞って振り返ります。


 一昨年からコミティアに出始めて、2019年2冊、2020年3冊と出してきました。今年は前半何もできませんでしたが3回コミティアに出て3回とも本を作れたのでよかった。人がだんだん戻ってきてにぎやかになっていくのも安心感があって、11月の時は最初の人だかりに(ちょっと不安を覚えつつ)なんだかじんわりしてしまったのを思い出します。

 一個前の《晒す人》がちょうど2020年5月の本なので本当に1年ぶりの漫画の本 就職してから態勢がまったく立て直せず漫画は描けないわ引っ越して知り合いもいないわ久々コミティア出ようとしたら突然仕事が入るわでこの本が出せるまでの1年間は本当にろくでもない年だった この1年に関してはあまり冗談ではなくよく生き延びられたと思う

 人生も漫画もスランプの中で描きたいことも変わった 人が人に出会ってなんとかなる話を描いていたけどまだ人に出会う前の人にも生き続けてほしいので《くらし》も含めてそっちを描こうと思った1年間だった 驚くくらい描いていて自分自身が救われたような気がするしうれしい感想ももらった 漫画描くことと生きること諦めなくて本当によかった……

くらし

 もうすこし悲惨な人間の話 今年は楽しかったとはいえまだ不安も大きいし実際しくじったなあという事も多々ありとにかく色々考えるのでこの冬は自分が生まれたことを自分自身では祝えないなという気持ち あと1年頑張りたい

一壷天

 今年ずば抜けてうれしかった出来事

 一昨年から2年間まあまあみっともない時期も挟みながら6月にコミティアで変わらず出迎えてくださった漫画描きの皆さんと 本当に久々に別の趣味で新たに関わってくださった皆さんと とにかく色んな人の色んな力で生きてきたわけでその結晶みたいな本になった こんな嬉しいことはほとんどなかったので自分でも変かな? と思うくらい反芻してしまった…… こういうことを積み重ねて自分のことをしょうもないところ含めて(直したいところは直して)好きになって人と関わっていけたらいい


 というわけで改めてこの1年間、多くはない一人一人の時間を自分という人間に割いていただいたことに深い感謝を捧げたいと思います。本当は一人一人に挨拶をして回りたいくらい各氏に伝えたいことがありますが、まだまだだなと思うところも多いので、もう少しちゃんとできてから改めてお話できるとうれしい。来年はもう少し自分の内外の環境を、できる範囲でよくできるように動いて、その分だけ報われればそれ以上の幸せはないかと思います。

 来年も何卒よろしくお願いいたします。

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タイムマシン角煮

 ティファールのちょっといいやつがセールでほぼ半額だったので電気圧力鍋を買いました。以前から料理の話をするたび、いろんな人から勧められていたのだが折角だし思い切れるときにそこそこのが欲しいな……と思い半年、ようやくの獲得。てなわけで、3ヶ月に1回位作っていた角煮を早速仕込んだ。

 で、蓋開けてびっくり。角煮って30分で完成するんだ……と。それまで前日に豚ブロックを下茹でして、大根も研ぎ汁で下茹で、最後にそれを合わせて半日……とやっており、丸一日家から出ない覚悟がないとなかなか作れない代物だった。まあそんだけ時間をかけたら大概のものは美味しくなる。煮込みって面倒だけ見てれば失敗しにくくて最高だなぁ、とかねて思っていたのだが、このタイムマシンの登場によりさらに最高だなぁ……という気持ちが強まった。

 翌日も鶏肉と野菜を蒸しました。これも各10分。なんだか、お金は払っているのだからある意味当然のことかもしれないが、自分がズルをしている気分になるくらい、清々しい時間短縮である。粉チーズとブラックペッパーで美味しくいただきました。次は牛スジカレーとか作りたいですね。


 自慢でもなんでもなく、まあまあな理屈屋で、しかも不器用な理屈屋なので人の3倍はものごとを理解したり噛み砕いたりするのに時間がかかる。そういうのもいろいろな動作がどんくさかったり、輪に入れなかったりする理由のひとつなんだろう。だからと言ってこの気性を今更変えることもできない。ずいぶん難儀な人間になってしまった。

 バウハウスという美術の学校が昔ドイツにあって、その垢抜けた引き算のデザインが人気になって今もその影響はいろんなところに色濃く残っている。でも味気ないなどと言われてあまりいい見方をされていなかった時期もあり、様々な問題があってたった十数年でとあるアメリカの大きな団地が爆破解体されたとき、モダニズムの終焉だなんて言われたこともあった。

 たしかに、ぱっと見では今はもうないこの団地とバウハウスの建物はよく似た豆腐のような建物だし、いわゆるモダニズムがバウハウスの校長で、後にアメリカに渡ったグロピウスという人間のフォロワーとして作り上げられたことはいまさら否定する理由がない。ではなぜ1919年創立のバウハウスが100年もの間忘れられず、この団地は跡形もなく消えてしまったんだろうか、となると、やっぱりそこに理屈があったかどうかだと思うのだ。ひとつの豆腐を建てる上で、何を考えて、何のために豆腐を建てようとしたのか・豆腐の形にしようとしたか……ということの深さの違いみたいなものが、この二つの運命を分けたように思えてならない。

 要領の悪い人間なのに、さっさと問題を片付けられない(ちなみに部屋も片付けられない)のはおよそ人として致命的な気がする。でも、要領が悪いからこそ、よくわからないままこなして次に向かってを繰り返すたびに、なにが問題だったのかがおぼろげになっていって、結局次に別の問題が出てきたときに苦しい思いをしたりして、自分にとってはそっちのほうが致命的だなと思う。本当は、そもそも矢継ぎ早にそんな問題をこなさなければいけない環境自体、どうかと思うのだけれど……ないものねだりをしてもしょうがなく、どんくさい人間にはこの2択しかなくて、自分はいつかどっしり構えた人になりたいと思ったからより不器用な方を選んだ。なんじゃそりゃと言われても仕方ないけれど、少なくとも自分はそういう選択に至るまでに考えて作っていった理屈のことを、できるかぎり好きでいたい。

 そういう感じで生きていけたらいいと思います。

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暮しの手帖に載ってたグラタン

 暮しの手帖を買った。

 暮しの手帖で紹介される暮らしというのはいわゆる丁寧な暮らしというものとはわりと違う。お金をかける必要はないし、時間をかける必要もない。ご飯を作る余裕がない人が無理をしてご飯を作ることはないし、外食が好きな人は外食してもいい。ふと、自分でご飯を作りたい時に、とっておきのレシピでとびきりのご飯を作る。そういうやり方でも全然問題ない。よそから見た丁寧さではなく、自分の中で納得のいき、心地の良い暮らしが大事だ、ということ。自分が世界のすべてだから……

 というわけで、載っていたグラタンを作りました。鶏肉を牛乳で煮込み、とろみをつけてグラタンに。あと、ご飯にとろろと卵黄の醤油漬けを載せた。うに卵って言うらしい。これもかんたんなのに美味しい。最近は週末しかご飯を作れていないけど、そのぶん時間をかけてじっくり作った料理を食べるというのは、たとい10分で食べきってもすごく幸せだ……


 思えば中学生の頃から年上の人と一緒にいるほうが楽だった。年上といってもネットで知り合ったおじさん……とかではなく、中高一貫校だったので高校の先輩。なんにもない学校だったけどボロボロのサンガリアの自販機だけが休憩室にあって、よくジュースをおごってくれた。あと、色々勉強とかプログラミングとか教えてくれた。勉強は結果的にものすごく役に立って今も活き続けているので、感謝してもしきれない。プログラミングはきれいさっぱり忘れ去ってしまって、それはすごく申し訳ないのだけれど……

 そういう感じで、大学の頃は漫研で中華とか焼き肉とか奢ってもらった。京都の鴨川デルタという場所で、屋外に雀卓を持っていって花見麻雀なんて風流なことをしたりして、それもOBの人たちが思いついたものにえっさほっさとついていってご相伴に与ったもの。なんというか……書いていってすごく現金だな、とは思うが、とにかく色んな面で良くしてもらったし、話も正直同年代の人たちより合わせやすかったと思う。

 年上の人といると居心地がいい、というのは一説によると年上は年下にとにかく気を使うのだから、居心地がいいのは当然だろう、ということらしい。なるほどたくさんのものをもらったし、話も年配としての余裕をもって聞いてくれていたのかもしれない。というか、自分はとにかく興味のあることをひたすら話すことしかできないから、ほぼ間違いなくそうだったんだろう。今となってはあの人達がどういう気持ちで自分の話を聞いてくれていたかは、わからない。そう考えると、なんだかすごく申し訳ない。

 生きることが楽しくない時期が長くて、年をとってしまう前にいなくなりたいとよく思っていたけれど、いつの間にか自分がそれなりの歳になって、振り返ればまあまあの年下の人たちがいる。その中には、昔の自分みたいに状況とか立場がわからないまま必死に生きている人も何人かはいるんだろうな、とよく思う。特になんのとりえもない自分にとってその人達にできることは、昔自分がそうしてもらったように、何かを与えたり、一生懸命に話してくれることをちゃんと聴いてあげたりすることくらいだけだ。先の人に返せなかったかわりに、後に続く人に与えて、自分の気を楽にする。すごく自分本位だけれど、それで自分みたいに生きることがよくわからない人が助かるのならそれ以上うれしいことはないし、それに何より、人が前につんのめりながら気分良さそうにたくさん話してくれるのって、凄く好きなのだ。

…じゃ そしたらね

美波ちゃんが大人になったとき

私と同じように自分より若い人にそのお金の分何かしてあげて

そういう借りの返し方もあるの 覚えておいてね

田島列島『子供はわかってあげない』,2014

 そうやって生きていけたらいいなと思います。