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日記

暮しの手帖に載ってたグラタン

 暮しの手帖を買った。

 暮しの手帖で紹介される暮らしというのはいわゆる丁寧な暮らしというものとはわりと違う。お金をかける必要はないし、時間をかける必要もない。ご飯を作る余裕がない人が無理をしてご飯を作ることはないし、外食が好きな人は外食してもいい。ふと、自分でご飯を作りたい時に、とっておきのレシピでとびきりのご飯を作る。そういうやり方でも全然問題ない。よそから見た丁寧さではなく、自分の中で納得のいき、心地の良い暮らしが大事だ、ということ。自分が世界のすべてだから……

 というわけで、載っていたグラタンを作りました。鶏肉を牛乳で煮込み、とろみをつけてグラタンに。あと、ご飯にとろろと卵黄の醤油漬けを載せた。うに卵って言うらしい。これもかんたんなのに美味しい。最近は週末しかご飯を作れていないけど、そのぶん時間をかけてじっくり作った料理を食べるというのは、たとい10分で食べきってもすごく幸せだ……


 思えば中学生の頃から年上の人と一緒にいるほうが楽だった。年上といってもネットで知り合ったおじさん……とかではなく、中高一貫校だったので高校の先輩。なんにもない学校だったけどボロボロのサンガリアの自販機だけが休憩室にあって、よくジュースをおごってくれた。あと、色々勉強とかプログラミングとか教えてくれた。勉強は結果的にものすごく役に立って今も活き続けているので、感謝してもしきれない。プログラミングはきれいさっぱり忘れ去ってしまって、それはすごく申し訳ないのだけれど……

 そういう感じで、大学の頃は漫研で中華とか焼き肉とか奢ってもらった。京都の鴨川デルタという場所で、屋外に雀卓を持っていって花見麻雀なんて風流なことをしたりして、それもOBの人たちが思いついたものにえっさほっさとついていってご相伴に与ったもの。なんというか……書いていってすごく現金だな、とは思うが、とにかく色んな面で良くしてもらったし、話も正直同年代の人たちより合わせやすかったと思う。

 年上の人といると居心地がいい、というのは一説によると年上は年下にとにかく気を使うのだから、居心地がいいのは当然だろう、ということらしい。なるほどたくさんのものをもらったし、話も年配としての余裕をもって聞いてくれていたのかもしれない。というか、自分はとにかく興味のあることをひたすら話すことしかできないから、ほぼ間違いなくそうだったんだろう。今となってはあの人達がどういう気持ちで自分の話を聞いてくれていたかは、わからない。そう考えると、なんだかすごく申し訳ない。

 生きることが楽しくない時期が長くて、年をとってしまう前にいなくなりたいとよく思っていたけれど、いつの間にか自分がそれなりの歳になって、振り返ればまあまあの年下の人たちがいる。その中には、昔の自分みたいに状況とか立場がわからないまま必死に生きている人も何人かはいるんだろうな、とよく思う。特になんのとりえもない自分にとってその人達にできることは、昔自分がそうしてもらったように、何かを与えたり、一生懸命に話してくれることをちゃんと聴いてあげたりすることくらいだけだ。先の人に返せなかったかわりに、後に続く人に与えて、自分の気を楽にする。すごく自分本位だけれど、それで自分みたいに生きることがよくわからない人が助かるのならそれ以上うれしいことはないし、それに何より、人が前につんのめりながら気分良さそうにたくさん話してくれるのって、凄く好きなのだ。

…じゃ そしたらね

美波ちゃんが大人になったとき

私と同じように自分より若い人にそのお金の分何かしてあげて

そういう借りの返し方もあるの 覚えておいてね

田島列島『子供はわかってあげない』,2014

 そうやって生きていけたらいいなと思います。

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肉味噌

 前回から1ヶ月間本当に忙しく(あるいは体力がなく)、ようやく一段落ついたので久々に料理をした。とりあえず急にガッと作れないので、サクッとトマ玉を作り、あと常備菜で肉味噌。肉味噌はなぜかこれまで作ったことがなかったのですが、全然自分で作ってもいい。すごく美味しい。

 信じられないくらい物忘れがひどく(特に短期記憶がまるでだめ)、というか頭の回転自体がすごく鈍っていて、何食べようか考えてもちっとも思いつかない。なので最近はずっと白ごはん.comとかでぼんやり見ながらピンときたものを作っている。思考をよそに委託しているのってどうなんだろう……と思わなくはないが、その分リソースをもっと大事だと思っていることに回せるのなら、大丈夫なのかな。


 COMITIA137に参加致しました。前回から3ヶ月ぶり。

 ほとんどニュースを見ない生活をしていたのでどういう様相であるのかほとんど知らなかったのだが、現況はまた落ち着いているのだという。とはいえ、もはや恒例行事のようにぶり返すし、人が集まることについても本当に直近でひと悶着あったばかり。というわけで、早々に切り上げて人のいなさそうなところを中心に午後は観光(というか散歩)に繰り出したりした。

 ちなみにその2日前から関東に入っていたのだけれど、前々日・前日もひたすら散歩をしていた。それも、ありがたいことに、人と。3日間、代わる代わるいろんな人に色んな所を案内してもらいながら、時々話せそうな箇所でこちらも講釈たれながら(はた迷惑だ)、おろしたてのサンダルでぺたぺた歩いた。

 前回のコミティアはその前に出たときから1年以上間が空いていて、何回も言ってきたようにその期間は本当に色んなことで疲れて、色んなことが心配で、人と電話しても全然収まらず、今だから大げさに言えば生きることについて正直なんだかもうよくわからなくなっていた。6月に久々に東京に行って、みんなで(距離はあったけど)同じ場所にいたとき、なんだか白昼夢みたいでまるで実感がなくて、こんなに自分が何かを受け取って良いのだろうか、と戻ってからずっと考えたりしていた。今回もやっぱり夢みたいだったけれど、少し実感として、少し前までは考えもしなかった環境に居るんだな、と思えるようになった。

 そう思って大阪に帰る電車に乗って、反対ホームの友人たちに手を振ってたら、情けないけど車内で泣いた。

 そんなわけで、だんだんと昔ほどは弱音を吐く回数が落ち着いてきたかな……と思う(全然減ってないかもしれない……)けど、いつまでこんなところに居られるのだろうかとか、もっといい場所に行けたらいいのにとか、別の不安もある。いずれにせよ、自分の振る舞いと暮らしの問題で、要は人に何かを返さないといけない(義務というよりは、力学的な感じ)段階に入ったのだと思う。つくづく幼い人間なので、自分にそんなことができるんだろうかとふと考え込むことも多いけれど、でもここまでたどり着いたのは生きてきて最初のことで、やっぱり少しドキドキしたりしている。

無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない

小沢健二『流動体について』,2017

 とにかく、できるだけのことをやって、人を楽しくしたり幸せにしたりしていけるようになれたらいい。

 これからもなんとか生きていきます。

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生姜焼き

 大学生の頃以来に生姜焼きを焼いた。

 かもめ食堂という映画が大好きで、その中にステンレスのフライパンで、じうじう生姜焼きを焼くシーンがある。その時のコントラストの美しいことよ。6月にボーナスを使って、たいして料理がうまいわけでもないのにステンレスのフライパンを買ったのはそういう理由だった。つまり、今日生姜焼きを焼いたことでようやく目的を果たした、とも言える。

 机にたくさんの生姜焼きと副菜と味噌汁とをとんとんと並べて、最後にご飯を置くとなんだかお盆が照れくさい。いかにも定食屋といった見てくれ。ああ、この直球勝負の気恥ずかしさだったのだな、2年近く作っていなかったのは。でも、もう照れくささを認めてやる歳になってきたように思う。


 思えば入学祝いにパソコンを買ってもらって(大盤振る舞いだね)、中学生の頃にはじめてブログを作った。それは2年くらいで終わった。高校の時に小説を書いてみて、半年で終わった。そして大学の真ん中くらいで今のページを作って、断続的にではあるが今も続いている。

 続けることの大切さ、みたいなものが言われるようになって久しく、見向きもされなくても何かに打ち込み続けた人がふと取り上げられて持て囃される。そういう中で自分が結果的に中学生のころ始めたことがまわりまわってなんとか今も終わっていないというのは、果たしてえらいことなのかと時々考える。

 大学のころから何かを作る集団に身を置いて、自分も漫画とか絵を描いてよそに見せるようになった。それもまだ続いている。漫研にいたころ、部に所属していて部費も払っているし事務活動もしていてちゃんと何かを描きたいという意志があって、でもちょっとしたイラストばかりで漫画は続かないとか、そういう人もそれなりにいて、よくどうしてそんな続くんですかと聞かれたりした。あまりにもよく聞かれるものだから、一瞬えらいのかと錯覚しかけたことも、あった。

 そんなもんではない。

 今は自分の中では信じられないくらい色んな人に自分の考えている事を見て・知ってもらえてすごく嬉しい。でも最初の3年位は、もっと言えばブログを何回かつくっていた頃から、人に見てもらえなさすぎてもうやめようかと思って実際に距離を取ったこともまあまあある。ずっと自分の考えを伝えるためのツールとして考えていたから、それが果たされないのならしょうがないことだ、という感じ。ところが結局ほかに手段はないと知って、しぶしぶ机に戻る。それだけである。

 だからそれが全てとはもちろん言えないのだけれど、もしかしてここで机に戻らなくなった人、あるいは自ら机から離れていった人というのは、単にほかに自分の生きる場所を見いだせた人のように思える。自分が何かを形にすることを続けてこられたのは、別に飽き性でないとか自分を律してきたとか、まして作ることが楽しくて時間を忘れたとか、そういうものでは決してなかった。いまでも時間をかけて描いて、眠れずに起きて働いて、今なにをしているのか、と考えながら一日を過ごしている。あくまでも自分の話だけれど、それを称賛されるいわれはまったくない。たとえば、今となりに価値観を深く共有できる相手がいたならば、どうしてわざわざこんなボトルメールみたいなものを余裕もないのに流し続けているだろうか。じぶんの継続とは高々その程度の話で、最初から力になる余地などなかった。それでも、それを抱えて生きて、それを受け入れてくれる人とときどき話して、どうにかやり過ごしていくしかないんだろう。

 明日もなんとか生きていきたいです。

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自炊おやすみ

 ちょっと気持ちが沈んでいたので自炊含めて掃除洗濯もお休みして明日に回した。今日は詩集を買ったり(わざわざ言っちゃうくらいには普段買わないもの)、久々に高いラーメンを食べたり、映画を見たりした。

 気が沈んだ時に慌てて色々やろうとするとどんどんとドツボにはまっていく。大抵それでどうしようもなくなった時にふと読んだものに助けられて立ち直ったりする。ということは、これはまずい、となればすぐに絵も家事もやめて一旦寝て読みたかった漫画を買うなり見たかった映画を見るなりすれば(比較的)よいということ。ちょっと昨日からしんどく、明確な原因があるわけでもなかったけれど昔よりはリカバーがうまくなった気はする……ただ、休みがあってお金があってできることだから、もう少しみんなに休むことがやりやすい世の中であってほしいとは思う。


 今日行った映画館の、チケット発券機のすぐそばで子供が佇んでいた。特に遊んでいるわけではなく、しっかりと立って親がいるのだろうか一方向を見ている。スペースを塞いでいるわけではないから隣に立つこともできたけれど、いきなり知らない大人が前にたちはだかるのも申し訳なく、すいません、と手刀を作りながら立ち入った。子供も、すみません、と言って後退りした。ごめんなさいね、と子供に重ねて言った。

 一時期だけ店頭での販売の仕事をやっていたことがある。比較的家族連れが多く、小さい子供を連れてくる親御さんも多かった。そういう時、キッズスペースに子供を連れて行ったり、ジュースをあげたりするのだけれど、どうしても丁寧語になってしまう。こちらです、ジュースになります、ここに置いておきます。子供もかしこまるから……と上席にたしなめられた。あるいは、一年下の新入社員にも丁寧語で話すし、君付けもなんだかむず痒い。帰省した時に祖父母に会う時、敬語で話してしまって、なんでそんなに他人行儀なんだと親に怒られないにせよ指摘される。「敬語グセ」である。

 立場について考えることが多い。自分の考えるところとは全然関係ないところで、いつの間にか立場の違いが生まれて、接し方を変えてその関係を理解する・維持することがどうやら大切なことのようだ。でも、自分にとっては後輩も子供も祖父母も、ほかのすべての人と同じように丁寧に接したいし、自分はこういう人間であるということを伝えたい。相変わらずいろんなことが自分にはこなすのが難しいから、せめてまじめに何かを考えている、ということだけでも(余計な押し付けかもしれないけれど)伝わればいいなと思う。

 せっかく詩集を買ったので、ひとつ。

子供 石垣りん


子供。
お前はいまちいさいのではない、
私から遠い距離にある
ということなのだ。


目に近いお前の存在、
けれど何というはるかな姿だろう。


視野というものを
もつと違つた形で信じることが出来たならば
ちいさくうつるお前の姿から
私たちはもつとたくさんなことを
読みとるに違いない。


頭は骨のために堅いのではなく
何か別のことでカチカチになつてしまつた。


子供。
お前と私の間に
どんな淵があるか、
どんな火が燃え上がろうとしているか、
もし目に見ることができたら。


私たちは今
あまい顔をして
オイデオイデなどするひまに
も少しましなことを
お前たちのためにしているに違いない。


差しのべた私の手が
長く長くどこまでも延びて
抱きかかえるこのかなしみの重たさ。

『表札など』、1968

 明日もなんとか生きていきたいです。

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ケーキ2日経過

 甘いものが好きで毎晩コンビニに寄ってなにか買って帰る。今日もそのつもりで遠回りしてコンビニに行ったのだけど、入店直前にそういや日曜に2つ買ったケーキのうち残りの一つがまだ家にあることに気付いた。昨日食べようとしてすっかり忘れてたもの。家にケーキがある! という喜び半分、結構いいケーキなのに2日置いちゃった……というダメさ半分。

 でっかい正三角形のショートケーキが残っていた。案の定、2つも乗ってるいちごがちょっとしんにゃりしていて、(自分が)なさけないから写真を撮るのはやめた。でもちゃんと美味しい。2日前に食べたほうがもっと美味しかっただろうけど……


 所謂おたくの界隈で使われる「履修」という言葉がわりと苦手だ。最後まで読みましたか、続篇は、スピンオフは、映像は、元ネタは……というふうに、なんだか問い詰められているような気持ちになるし、自分で選んで楽しんでいたものが義務感めいてきてしんどくなってきたりする。自分の娯楽は自分で選びたい……

 とはいえ、版権作品に対する態度みたいなものに関してはどちらかと言えば狭量な人間だ。公に出ているものについて考える時に、実験的に逸脱させたり、思考のくせとして方向づけられることこそあれ、その自覚が薄れていつの間にか当然のように受け入れてしまうようなこと、あるいはそもそも目の前のものを見ない態度は、せめて自分だけでも避けていきたいなと思う(自分が強制力を発揮して良いのは自分に対してだけ、という意味で、自分「ですら」徹底できていない、という意味合いではない)。一見すれば矛盾だし、程度の問題ということであっても、その線引が不明瞭で危なっかしい。ので、自分でよく理解するためにたとえ話でなんとかすることにしてみた。

 誰でも通る道にりんごの木があって、とくに取って食べたりしても咎められない。そのうち切ったり熱を通したりしてお菓子を作ったりする。そのうちりんごのことについて詳しくなるだろうけど、りんごを食べているだけの人はもちろん、試行錯誤しながらお菓子を作っている人に対して、君たちはりんごが何たるかまるでわかっていない、というアプローチになると具合が悪い。その一方で、あまりちゃんと作られていないお菓子とか、良さの出ていないお菓子がえっさほいさと作られて、それがどんどんと広まっていくと、木になっていたりんごの多くがそういう使われ方をしていって、ちゃんと作られたお菓子はいつの間にか見なくなってて、木にもなにも残っていなかったりする。時々、木をちゃんと間引いたり、傷んだ所を取ってしまったり、倒れないように支えを足すひとがいて、残るところの木は残っていく。お菓子はおいしいし別にわざわざ材料のことをいちいち考えながら食べる必要もないが、それはそうとして誰かが木を見てやらなければいずれお菓子は作られなくなっていく。そういうイメージ。

 この例えがどれくらいわかりやすいかというと、全然わかりやすくないし、著作権というかなり複雑なものを無理やり作物にたとえているので齟齬がものすごく多い。たとえば版権のつくり手を木に例えたけど、能動性で大きな違いがあるのでもうすこし込み入った話をすると通用しない。この話では基本的なことしかわからない。なんだけど、今でもどこかでなんだか議論めいたものが起こっていると、加わったりはせず、これはりんごだと……とか考えたりしている。

 そういう感じで明日もなんとか生きていけたら良いと思います。