色々載ってる冷や麦

 今日はお昼遅めだったし重めだったし、晩にどっか食べに行こうかとも思ったけどそこまでがんばって何か食べたい感じでもなく冷や麦を茹でることにした。……のだが、いつのまにか茄子とかカリカリの豚肉とかキムチとか乗っかって結局まあまあ量とカロリーに溢れる夕食。まあでもめんつゆに浸せば全部サッパリ食べれて美味しかった。手軽だし平日でも作れるかもしれない……


 せっかくの連休だったがほとんど外出をしていない。一日だけ京都に行ってとくに意味もなくふらふら河川敷を歩いたりした(ら、大学の頃よく遊びに付き合ってくれた地域猫に1年ぶりに再会したりした)けど、他の日は特に行くあてもないし、わざわざ外に出て収穫がないよりは絵とか漫画を……と思ってだらだら家でパソコンに向かい合っていた。

 思えば人生のうちで行動力があったのは就活が終わってから就職するまでのたった1年で、その間は卒論もまあまあ手際よく進んでいた事もあって今から思えば信じられないくらい毎日のように自転車を漕いでいた。別に何か行きたい所があったわけでもないのに、遠くに目標地点を作って行きあたりばったりに走ってみたり、走っていて気持ちいいコースを何種類か作って買い出しや気分転換で喫茶に行くついでに周回したりしていた。あのころも別段何か自分の身にいいことはなかったし人間関係にも恵まれていなかったけど、比較的毎日穏やかに過ごせていた気がする。

 あれから2年が経って、自分で決めて家から出なかったのに休みがうまく消化できなかった気がしてウンウン唸ったりしてしまう。情けない話だけど就職するまで働いたことがなくて、未だに仕事がよくわからない。そういう不安とか、純粋に平日の時間が丸々ないこととか、ずっと疲れていることとか、2歳年を取ったことの焦燥感とか、大学時代の数少ない人たちとも距離的に会いづらくなったこととか、住んでいる街があまり自分にはまっていないこととか、色んなことが重なっているんだと思う。色んなことが重なっているので、メモリの少ない自分にとってはどの原因から片付けていいのかわからない。完全にどつぼである。

 よく早く引越したいとか、こういう仕事がしたいとか思うが、0.5秒くらいでそれで全部が解決するわけではないし、むしろコストを払ったのに何一つ改善しないかもしれない……と考える。それは環境にかこつけている自分を戒めているのか、逆に足を踏み出せないことの言い訳なのか、それもよくわからない……わからないし、漫然とした不安とか寂しさとかが大きくて、変なタイミングで色々考え込んでしまうこともよくある。ただ、昔ほど何もわからずにただ意味不明なつらさがあった頃よりはその解像度は上がってきて、ちゃんと言葉で考えられるようにはなってきたかなと思うし、いつか自力で解決できるくらい自分のことがわかるようになればいいなとか、調子のいいときはへらへら考えている。

 明日もなんとかして生きていきたいです。